愉快風呂敷

チェホフ『ワーニャ伯父さん』
内田百輭『冥途』
宮本常一『忘れられた日本人』中の「土佐源氏
金子光晴 詩「オットセイ」、「もう一篇の詩」
山之口獏 詩「存在」
韓龍雲  詩「服従

集中講義の日々の課題を学生たちが書いてくる。その文章の中に渦巻く声、蠢く想いに触れると、ああ、これ、聴いたことがある、どこかで出会ったことがあると、本棚をまさぐり、一冊一冊本を取り出しては、読み出す。

表現の手前、表現に結実する原形質のようなものが蠢く教室。
自分の思いを乗せて送り出す言葉、自分の息遣いで織り上げられる表現を探して、自分と向き合い、隣の他者に向き合い、そうして生きることに向き合う教室。
一応「先生」ではあるけれど、私もそんな教室で、生きる言葉を手探りするひとり。

この教室には、在日3名、日系ブラジル人1名、日系ペルー人1名と、複数の名前とその名前に張りつく複数の世界を持つ者たちがいる。舞台役者を志し、あるいは物書きを志す「はぐれ者」たちもいる。
<いま、ここ>からはみ出ているわれらが、われら自身が生きる世界とその言葉を創り出す試行錯誤、ここから世界文学(われらの世界を創る言葉=文学)を産み出すという野望。

愉快な大風呂敷教室。