後家の涙

明日は引越し。段ボールに囲まれてチェホフ「学生」を読む。

荒涼として陰鬱ですべてが寒い夕闇。学生は考える。「リューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にも、ピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、これとそっくりのひどい暮らしや飢えがあっただろう」ことを。「穴だらけの藁屋根や、無知や、憂愁や、こういう周囲の荒地や、暗闇や、重苦しい感じ―こうした恐ろしさはみな、昔もあったし、今もあるし、これからもあるだろう。そしてなお千年たっても、暮らしはよくならないだろう」と。
学生は、通りすがりに、野菜畠で焚火をしている母と娘の二人の後家、ワシリーサとルケーリヤに話しかける。「ちょうどこんなふうな寒い晩に、使徒ペテロも火にあたってたんだろうね」。そして始まる、イエスによって予言されていた使徒ペテロの三度の裏切りの物語。予言を否定したにもかかわらず、自分を信じていたにもかかわらず、予言どおりに三度イエスを裏切ったペテロの涙。「福音書にこうあるね、『外に出でていたく泣けり』って。僕はいま想像するんだよ―静かな静かな、暗い暗い園、そのしんとした中で、ようやく聞き取れるほどの啜り泣き……」。二人の後家が、学生が語るペテロの物語に、ペテロのように涙する。
学生はまた思いに耽る。「ワシリーサがあんなふうに泣き出し、娘があんなふうにどぎまぎしたところを見ると、たったいま自分が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、現代の―この二人の女に、そしてたぶん、この荒涼とした村に、彼自身に、すべての人に、なんらかのかかわりがあるのは明らかだ」「老婆が泣き出したのは、…(中略)…ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。彼女がペテロの心に起きたことに身も心も引かれたからだろう」。学生の胸に喜びが込み上げてくる。「過去は」と学生は考える。「次から次へと流れ出る事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている」「自分はたった今その鎖の両端を見たのだ―一方の端に触れたら、他の端が揺らいだのだ」。人間の真理と美は、ペテロの時代から連綿と……。

千年経っても何も変わりやしない。暗い、重い、苦しい、無知、憂愁。ひとりの人間のなかでそのように感じられていた連綿たる人間の生の営みが、美しく、魅惑的で、奇跡的で、高尚で、幸福なものへと生まれかわる瞬間の物語。

この瞬間を捉えて描くチェホフの語りを、私もまたチェホフの物語のなかの後家のように聴く。

連綿と変わることなく続く人間の営みを、また別の、哀しみが滲んだ言葉で、「ワーニャ伯父さん」のなかでチェホフは語っていたはずだけど、残念、「ワーニャ伯父さん」は引越しの段ボールの中、取り出して読み直すことはできない。明日、新居で段ボールを開封するまでの気がかり。