メモ  棄民は楽園を目指す

中学の入学式の日からの友人で画家の屋敷妙子が京橋のギャラリー椿で個展を開催中。(4月13日〜27日)。http://www.gallery-tsubaki.jp/2011/0413/0413.htm
『イリオモテ』(岩波書店)の表紙画を描いてくれたのは、彼女。ややヘンタイ(褒め言葉)。



以下、メモ。
テッサさんが描き出した北朝鮮への帰国事業の構図によって、いろいろなことがらがすっと一本につながっていった。「人道」という名の、「棄民」。棄てたい民には、その者たちを待っているという「楽園」を指し示すのは、棄てる側の常套手段。


北朝鮮へのエクソダス』(テッサ・モーリス-スズキ 朝日新聞社)より。
「帰国事業は、日本に新しい軍事的な枠組みができ、福祉制度の枠組みもできた、六〇年代初めを象徴する中心的な出来事だった。それは改定安保条約とセットになっていたのである。
 日米安全保障条約改定があったからこそ、アメリカ合衆国は帰国事業に反対しなかったといえるだろう。
 安保改定をおこなった岸内閣は国民年金制度もつくったが、そこからは外国人は排除された。そして、日本はそのときから高度成長期へと突入していく。そのときまで存在していた植民地の“亡霊”は安保改定によって一掃され、“単一民族国家”としての新たな福祉制度もつくられた。都市部の在日朝鮮人コミュニティの人口が減り、都市再開発がなされていくのもこの時期だった」P268〜269


「一九六五年に日本と韓国は国交正常化条約に調印し、正式な外交関係を樹立した。
 この条約の一環として、韓国の国籍を有する在日朝鮮人がついに日本の永住権を獲得できることになったが、社会福祉にたいする権利は手にできなかった。(これは一九八〇年代初めに日本が国際難民条約を批准してようやくある程度まで実現した)。韓国籍を選ぶ在日朝鮮人が増えていき、北朝鮮への帰国を求める人の数はさらに減った」。P311〜312