昭和の歌。抒情。

「逢いたくて逢いたくて」「ウナセラディ東京」「恋の奴隷」「小指の想い出」「黄昏のビギン」「喝采」「いいじゃないの幸せならば」「月がとっても青いから」「三味線ブギウギ」「四つのお願い」「プカプカ」「ふしあわせという名の猫」「ちっちゃなときから」「イミテイションゴールド」「居酒屋」……。

作家の関川夏央さんのお誘いで、昭和の歌しばりのカラオケ。身に沁みこんだ昭和の音と言葉がなかなか心地よいひととき。
帰宅して、ふっと思い立って、関川さんの『現代短歌そのこころみ』を読みだした。

あとがきにこうある。
「私には日本近・現代史を、それぞれの時代の文芸表現の推移をつぶさに点検することによって再構成したいという志がある」
「あらゆる表現は歴史から自由ではない。しかし表現は、歴史に束縛されながらも歴史に働きかけ、歴史そのものの動力の一部となる、私はそう考えている」
「この本では、日本語のリズムを生命とする短歌を材にとり、一九五〇年代からおもに八〇年代まで、だいたい三十年間の歴史をえがいた。それは短歌史ではない。小なりといえど社会史である。小さな詩型であるからこそ、社会に吹く風、歴史の呼吸を敏感に反応するのだといえる」

なるほど、なるほど。
斉藤茂吉の死、編集者中井英夫の存在、そして中城ふみ子寺山修司から始まる「現代短歌のこころみの歴史」が鮮やかに。

私にとって、ここ数年、短歌とは、詩人小野十三郎をとおして(さらには金時鐘をとおして)、短歌的抒情として、、つまりは批判精神なき日本語のリズムと抒情の結託として、退けられるべきものとして、まずは認識されていたのだけど、短歌を反面教師として磨き上げられてきた詩の言葉があるとすれば、短歌の世界においても、当然のことながら、短歌的抒情を乗り越えんとするこころみがあったということ、それはむしろ短歌の外の世界よりもおそらく困難なこころみであったらしいということが、関川さんの筆を通して伝わってくる。

伝統を超えんとする批判精神に溢れた前衛のこころみを追うことで浮かび上がる、大胆かつ繊細に時代と切り結んだ日本語表現の軌跡。まことに面白い。