養蚕講というのが、昭和の頃までは、養蚕農家の間で行われていたのだそうだ。
地域の養蚕農家が集まって、崇拝する蚕の神を祀り、豊蚕を祈願し、その蚕神の祀られている神社・寺院に詣でるのだという。
養蚕講は、「蚕日待ち」「おしらさま講」「蚕影山」というような名で呼ばれていた。
養蚕講では、蚕の神に和讃や御詠歌を唱えたという。
「蚕影山」(神奈川県津久井町韮屋根で唱えられていたもの)
きみょうちょうらい こかげさん かいこの由来を たづぬれば むかしのみよの その時代 てんじくちょうじゃの ひとりひめ こんりきひめと 申するは じゃけんのけいぼの てにかかり ときわのふねに のせられて とようらみなとに ながされて それをしまびと みつけられ ふびんのものやと かいほうし やうやうぜんかい いたされて ごんのだゆうの なさけにて ひたちのくにに あがられる
町田市野津田、秋川市雨間の蚕和讃、八王子市柚木の蚕影山も、天竺の金色姫が日本に流れつき、養蚕を伝える伝説を詠った。
町田市野津田の和讃
かいこわさん きみょうちょうらい こかげさん かいこのゆらいを たづねれば むかしかみよに はじまりて てんじくちょうじゃ ひとりひめ けいぼのねざめに なさけなく くわのうつろの ふねにのり ながれながれて つくばねの とよらのみなとに とどまりて すじょうさいどのそのために つくばのかみが あまくだり かいこのむしと うまれいで いととりわたとり こたねとりみちをおしへて はじめこそ きんめいていの ひめみやは せいしぼさつの けしんにて こがひのかみと あらはれる これこそかいこの ほんがみなり ナムアミ