天明5年(1785)秋。旧暦の8月。津軽の外ヶ浜あたりを菅江真澄は旅をする。 それは天明の大飢饉のさなかのことで、鰺ヶ沢の港から内陸へと進み、床前の野原に差し掛かると、そこには餓死者の白骨がうず高くつまれていた。 旧暦8月15日の日記。笛、つづみ…
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