語り物

2019年12月18日 陸前高田  たね屋さんで、たね屋さんの歌を聴いた。 言葉の発生/発声

半年ぶりの陸前高田。 官製 津波伝承館からまっすぐ海の方へ。 橋を渡って防潮堤へ。 (この橋は、防潮堤と町を切り離す橋のようでもある) 防潮堤には献花台がある。 (ここに献花するのは町の人ではなく、外からやってきた人のようでもある) 防潮堤が視界…

山尾三省『野の道』と宮沢賢治をめぐる会のあとに。

5月12日 野生会議99 つながるゼミナール 「山伏の目で読んで語る宮沢賢治」@西荻窪・忘日舎のゲストに来てくださった編集者アサノタカオさんとのfacebook上でのやりとりが、とても大切なことに思われて、このブログの方にそれを記録しておく。 <アサノさん…

「なもあみだんぶーさんせうだゆう外伝」

2019年5月11日 東京自由大学 「異界の声。常世の歌」第二回 「流浪のうたびと、 ~アフリカの吟遊詩人、さまよい安寿」 <話の前置き> 説経節「山椒太夫」より、弟厨子王の行方の自白を迫られた安寿の拷問死の場面 十二格(十二段)の登梯(はしご)にから…

姜信子、祭文語り八太夫の「旅するカタリ」の二人組は、不知火浄瑠璃(しらぬいじょろり)と称して石牟礼道子作品を浄瑠璃語りで語りながらの旅の途上、10月15日より宗像におります。

縁あって、宗像市多禮の公民館で、『あやとりの記』の世界、そして『西南役伝説』より「六道御前」を、祭文語り八太夫を語り手に、私は狂言回しの役割で、上演することとなったのです。ここ多禮には、人の死を、生からの地続きの自然の成り行きなのだと受け…

浪花節は、国民国家の展開と資本主義の展開がからみあっていくなかで生成し変容していった、二〇世紀における最もポピュラーな「語り物」だった。

国民国家を草の根から支えた「声」としての「浪花節」(兵藤裕己)。 「近世の封建国家の忠孝のモラル」から「近代の国民国家の一元的な忠孝のモラル」への「変換装置」となったのが、「大衆社会」に流通し浸透していく物語だったという認識。※1 桃中軒雲衛…

いきなり第7章。「歴史の限界とその向こう側の歴史」  大事なところです。 ここでは、西洋出自の<普遍的>歴史学が直面する歴史の限界と、その向こう側に広がる普遍化を否定する歴史の数々、いわば「危険な歴史」の位相が語られます。

まずは、章扉に置かれたこの言葉。噛み締めるべし。 アボリジニのあらゆる情報システムにおいて、知識とは特定の場所と人々にかかわっています。別の言い方をすれば、アボリジニの知識体系で最も重要なのは、知識を普遍化しないという点です。知識が特定化さ…

第11章  「国家に抗する社会」   未開社会は国家なき社会である。 この一文ではじまる。

これを、未開から文明へという進化論的な発想でとらえれば、西欧近代の思考の枠のなかで、西欧近代の外の世界を説明することにしかならないだろう。 国家をもつ社会が文明の到達点か? まさか。 「未だに野蛮なままにある人々をそうした場に留めているものは…

いきなり 第七章 「言葉の義務」に飛んで読んでみる。「語ることはまずなによりも、語る権力を持つことだ」。これが冒頭の一文。

「「君主であれ専制王であれ国家元首であれ、権力者は常に語る者であるばかりでなく、正統なる言葉の唯一の源泉なのだ」 「それは命令(戒律)と呼ばれ、命令を実行する者の服従以外のなにも望まない」「あらゆる権力奪取はまた言葉の獲得でもある」 「国家…

第二章  いったん頭から西欧的な権力の思考を外したところから問いを立てる

「権力行使の手段をもたぬ権力とは一体何なのか?」 「首長に権威がないのなら、首長は何によって定義されるのか?」 1.首長は「平和をもたらす者」である。 (戦時にのみ強制力をもつ権力が出現する。戦時首長)2.首長は自分の財物において物惜しみをし…

きのう、津軽イタコの「お岩木さま一代記」を聴いた。

いや、イタコが語るのを聞いたわけではないんです。 1931年に採録されたテクストをもとに、「声」の表現者である井上秀美さんに、「お岩木様一代記」を演じてもらった。 これが実に面白かった。 今回「お岩木様一代記」を口演した井上秀美こと井上イダコ…

あんじゅが姫は母を訪ねて旅に出る。

「こんなに困難盡し終へでも/母ど致するものもなし/年は7つの年に/頃は四月の春の頃」(3つの年から、7つまで、「津軽三十三観音、六十余州/日本全国、西国三十三観音みなかげで」旅したわけです。この放浪は、まるでスサノオの放浪のようでもあります。…

あんじゅがひめを救うモノたち

1.三途の川の橋のところで南無大姉様(神)に歌掛け(「あぶらおんけと三遍もうだをかげたるなれば」)、油売りがやってくる!「この油紙を張って水を汲め」あぶらおんけのおまじまいが、あぶらうりを呼び出す、という声の力! 2.「咽せ咽せ行て見れば」…

さんそう太夫登場 ~ あんじゅが姫の試練〜

「太鼓三味線の音がする/あれの音ではないかと/急いで行て見れば/丹後の国の奥の山で/さんそう太夫が先ぎだちして/天の明神様弟のふりやいが悪い為に/石のから戸に身体をおかくれ致した時分に/さんそう太夫が太鼓三味線で/つゆのお神楽あげでら音で…

母おさだの放浪

●おさだを憐れんだ村の長者が、からの国の加藤左衛門を紹介してくれる。 (からとは唐なのか? 加賀なのか?) (加藤左衛門とは、五大説経の一つ「刈萱」の主人公の父の名前ではないか。近代以前、誰もが知っていた説経系の物語は、相互に溶け合っているよ…

生埋めにされたあんじゅが姫

●母はおさだ、加賀の生まれ。 (加賀からの移民という、当時の人の流れを想起させる) ●兄はつそう丸 …(説経「山椒太夫」から来た名前だろう。在地の神が物語を乗っ取る) ●姉はおふじ、 ●最後があんじゅが姫。 (安寿姫でもあり、庵主が姫でもある。母さだ…

坂口昌明は、「翻弄され、たえず涙にくれる、登場人物の力のなさ、これが急所です」と『お岩木様一代記』の背景をなす『神道集』について語る。

『お岩木様一代記』(坂口昌明編 津軽書房)より 地域の鎮守神の崇高さを称える『神道集』の感覚は、現代の私たちが『お岩木様一代記』を理解するのに大切な、鍵のひとつと思われます。 (『神道集』は)はじめその考え方が比叡山系の寺院周辺から流れ出した…

昭和6年(1931) 国学院大学高等師範部三年の竹内長雄は、青森県南津軽郡女鹿沢村下十川字川倉コに住むイダコ桜庭スエを訪ね、『お岩木様一代記』『十六ぜん様』『猿賀の一代記』を採録した。

<『お岩木様一代記』についての柳田國男の感想> ・語り手の文作の多いこと ・是非とも守るべき伝承の少なかったこと ・之に加ふるに忘却と誤解あり ・聴手の曲従もしくは容認 ・新しい文化の意識せざる影響 ・ハンカチとカバンは殊に驚く ・現代文学の印象…

祭文の風景 記憶を語る声から。 

山形の祭文語りにまつわる記憶。 明治末年 越後頚城郡春日野村正善寺 北条時宗氏による。 「私は幼い頃、丈余の雪に閉ざされた旧正月に度々この村の長格の家に連れられて二、三日を過ごした。その村で雪の正月を楽しむ祭文語りを聞いた。大きな家で十畳二間…

貝祭文(デロレン祭文)は、平安時代に起こった山伏祭文の血脈を引くという。

近世寛永頃に上方において山伏祭文から派生した「歌祭文」、 江戸の山伏祭文とかかわりの深い「説経祭文」、 その成立を貝祭文から推測するというアプローチ。 <古代の祭文から貝祭文への流れ>1・そもそも祭文のはじまりは古代、「仏教・神道・陰陽道・儒…

陰陽師と言えば、説経では安倍晴明、蘆屋道満をはじめとして、いろんな話に「易学博士」として登場しますね。

幕末に薩摩若太夫系統の説経祭文が多摩や埼玉に広がるにあたって、神楽師(=陰陽師)ネットワークが大きな役割を果した。それはまずは、 1.薩摩若太夫門下になるということ ・5代目若太夫(板橋・諏訪仙之助)、6代目若太夫(多摩郡二宮・古谷平五郎)…

歌祭文・歌説経

三田村鳶魚曰く、歌念仏の徒が説経本を使用したのが「歌説経」である。 語り物としての「説経」が、唄い物としての「説経」へと変じる。 「縁起因縁の法話が、和讃の節奏を借り、編木(びんささら)に和して、最初の説経が成立し、無文であったものが、祭文…

寛政(1789〜1801)年間 山伏祭文を本所四つ目の米屋の亭主 米千が三味線と合わせて語りだして評判になる。

初代薩摩若太夫 三味線で語る説経が評判となる。しかし、これはもともとの語りの形に戻っただけ。それもわからぬほど、説経はその当時衰退していた。★薩摩若太夫による「説経祭文」は、途絶えた伝統の再生であった。◆堺町 薩摩座で操興行へ。◆嵯峨御所(大覚…

説経は大道を本拠地に、説経芝居になっては廃れ、廃れては説経祭文となり、また舞台へ、そして……。

そもそも、説経のはじまりは、 「もとは門説経とて、伊勢乞食ささらすりて、いひさまよいしを、大坂与七郎初て操にしたりしより、世に広まり玩びぬ」(『好色由来揃』より)★承応(1652〜55)・明暦(1655〜58) 大道から説経による人形芝居の成立へ。 「元…

 説経の大きな流れ

説経:仏教の法談・唱導から生じ、寺院の周辺で成立したというのが通説である。仏教の比喩や因縁話を物語化し芸能化したのが出発点であったろうが、その転化・物語化の過程は全く明らかでない。 江戸以前:漂泊の芸能。寺社の境内や門前で語られるものだった…

 瞽女唄は、我々に「はたしてそれでいいのか」という大きな問いを投げかけている。

P225より我々が今検討すべきは、瞽女唄に残された面白さと楽しみをどのように「搾り取るか」でも、それをどのように今の社会状況の中で「生かし、利用すべきか」でもない。そうではなく、我々は逆に、瞽女唄が我々に何を求め、我々にどのように挑戦してい…

「歌祭文」⇒「でろれん祭文」⇒「浪花節」

「でろれん祭文」は明治中期まで続いて「浪花節」(浪曲)の源流となった。 「ちょんがれ」「しょぼくれ」「うかれ節」も、みな歌祭文を源流とした同じ系統である。 明治期に流行した「阿呆陀羅経」は、小さな木魚を叩いてテンポを速めた「ちょぼくれ」の一…

「祭文」から「歌祭文」、「歌祭文」から「でろれん祭文」

近世中期に入って浄瑠璃や歌舞伎が大人気になると、「お染久松」「八百屋お七」「お俊伝兵衛」「お夏清十郎」など、巷間に流布した悲恋哀話を平易な祭文調で語る「歌祭文」が現われた。 三味線を用いた弾き語りが流行したが、冒頭の一句だけは、やはり祭文の…

近世の「説経語り」の風景 (俗山伏)

和歌森太郎『山伏』より 山伏がいちだんと落ちぶれて、その信仰を押売りに門付けを行なうなどのことがあった。説経を門付遊芸としておこない、お布施をもらうために山伏祭文を語って歩く、まったくの俗山伏がいたのである。 浪花節が山伏祭文から起っている…

 山から里に下りてきた山伏たちのゆくえ 

もともと「祭文」は、神や仏に祈るときに唱せられる祝詞・願文であった。 中世に入ると、修験者や巫女が、仏教の声明の曲節で、願い事を唱えたり、自分たちに縁のある寺社の縁起を語るようになり、それも祭文と呼ばれるようになった。 山から里に下りてきた…

江戸時代の山伏

「要するに、江戸時代の山伏にもピンからキリまであったのであって、なお中世的な果敢な山岳修行にいそしもうとする、修行本位に生きる山伏もいたとともに、祭文語りからごろつきに転化したようなものまで、種々のタイプがあったのである。全体的にいえば、…