旅
奈良から新潟・柏崎に行くのに、白山神社に立ち寄ることにした。 泰澄開基の平泉寺白山神社。 ここの御手洗池(みたらしいけ)で修行する若き泰澄の前に、白山の神・十一面観音が現れたのだという。 今回は特に予備知識もなく訪れたのだけれども、 そしてこ…
北に向かうのは、そこが荒蝦夷の地だから。と言ってしまうとあまりにざっくりしすぎか。 近代国家がそのよりどころとした建国神話において、きれいに封じ込められた「いのち」の原風景をそこに見たからと言うべきか。 北に向かう旅は、森崎和江の長きにわた…
車谷長吉の小説『赤目四十八滝心中未遂』を読んでから、いつかこの滝に来てみたいと思っていた。 もう小説の内容も忘れ果てたいまになって、室生寺の十一面観音を観に来て振られて(宝物館落成記念式典まで十一面観音は奥に仕舞い込まれていて拝観できなかっ…
半年ぶりの陸前高田。 官製 津波伝承館からまっすぐ海の方へ。 橋を渡って防潮堤へ。 (この橋は、防潮堤と町を切り離す橋のようでもある) 防潮堤には献花台がある。 (ここに献花するのは町の人ではなく、外からやってきた人のようでもある) 防潮堤が視界…
やっと奈良にたどりついた。 東北の旅の間、復興という名の復興ならぬ何か禍々しいものを見続けて、 嵩上げという名の記憶殺しの現場も見て、(いまはまだ現在進行形の現場に立てば、作られつつある歴史の裂け目がまだ見える)、 震災遺構の瓦礫も見て(いや、…
せんだい311メモリアル交流館で、展示を見て、一階スペースに座っていたら、女川出身だという女性に話しかけられた。 「どこから来ましたか」 「奈良からです」 「わたし、女川出身なんです、女川ってわかりますか? 「原発のあるあの女川」 「ええ、わかり…
2018年11月2日。奈良に移り住むための根拠地の立ち上げ。 あらたなはじまりへの第一歩。
鎌田東二によって、石に神を感じ取って山中を渉猟する山岳修行者、修験者と同じ感覚を持つ者として賢治は語られる。 その文脈のなかで引用される「石っこ賢さ」の言葉の数々。 わたくしたちは、氷砂糖を欲しいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風を…
オルレが流行って、市場も毎日オルレ市場と改名した西帰浦の町、そこで私は団体から一人離れて、交差点の角のスタバで山尾三省の『火を焚きなさい』を読んでいる。近代化に抗する道/オルレと言い切るのは、やや無邪気だろう、それでもなお自身のオルレを思…
歩いて生きること、風景はその外側から観るものではなく、その中で生きるものなのだということを、思い出させる済州の道、 徐明淑氏自身がその道にたどりつくまでの人生の長い時間を聴いた。 とりわけ成り行きで我知らず民主化運動の真ん中で活動し、拘束さ…
臥屹里→松堂里→金寧里→北村里→新興里→善屹里とまわっていく。 「松堂」 ここは済州島の「堂」の神々の親とされる。 「北村里の海辺の堂」 有名な臥屹里と松堂里のほかは、堂の場所がよくわからない。 タクシーの運転手さんが地元の老人たちに聞いては探す。 …
石文化公園に来たのは、四回目だと思う。 それは、この公園を創り出したひとりの男の狂気に引き寄せられてのこと。 男は、島の創世神ソルムンデハルマンと、その五百人の息子である五百将軍の神話を、自分自身の生の神話として、生きている。 男自身の母が「…
『現代説経集』(姜信子 ぷねうま舎)より。 ただし、京都では、京都の声で、本文どおりには語っておりませぬ。 - 実を言えば、わたくし、ここのところ、恥ずかしながら「水のアナーキスト」を名乗っております。どうか陳腐な名乗りだと笑わないでください、…
宗像から鹿児島の写真記録は ↓ にある。 宗像多禮の修験の跡をたどり、鹿児島ではハンセン病療養所の「死」をめぐる風景。 http://omma.hatenablog.com/entry/20181021/1540090780 敬愛園では、忘れがたい出来事。具体的な場所は言わない。その場所に入った…
それは「死者たちの声」とも言えるし、生きながら「死」を生きる者たちの声とも言えるし、いずれにせよ、私はますます死者たちとともにいるのだとつくづく感じたのが今回の旅。宗像には、「死」を特別なこととして受け止めない、草木がだんだんと枯れていく…
縁あって、宗像市多禮の公民館で、『あやとりの記』の世界、そして『西南役伝説』より「六道御前」を、祭文語り八太夫を語り手に、私は狂言回しの役割で、上演することとなったのです。ここ多禮には、人の死を、生からの地続きの自然の成り行きなのだと受け…
焼け原に 芽を出した ごふつくばりの力芝め だが きさまが憎めない たつた 一かたまりの 青々した草だもの両国の上で、水の色を見よう。 せめてものやすらひに―。 身にしむ水の色だ。 死骸よ。この間、浮き出さずに居れ水死の女の印象 黒くちゞかんだ藤の葉 …
と、『国文学の発生』(第三稿) まれびとの意義 において折口は書く。また、その「五 遠処の精霊」において、「沖縄の八重山」にその類例を見る。 「村から遠いところにいる霊的な者が、春の初めに村人の間にある予祝と教訓を垂れるために来るのだ、と想像…
これを、 「旅の夜の鎮魂歌」 と、岡野弘彦が冒頭の解説に書く。意味深い言葉。 旅の夜の鎮魂歌。 旅中の一行の共同の呪的な祈りと歌の場。 まれびとと文学発生の場の光景の鮮やかなイメージのひとつ。
たんたんと旅はつづく、たんたんと読んであとをついてゆく、 この道は忘却と記憶の分岐点ばかりで形作られている道なのだ、 人間の記憶なんてはかないもので、まだ終わっていない震災すら忘れてゆく、 分岐点にとってかえして、記憶の方へと歩き直すのは、か…
風が吹いていた。山と山に挟まれた道をゆく、その後ろから、どっどど どどうど どどうど どどう、唸りをあげて風が追いかけてくる。 又三郎だな。 山を風が駆け下りてくるのが見える。風が蹴立てた土埃が風と一緒に山肌を走ってゆく。風の音は、ここにある。…
旅の記録は、↓ にある。http://omma.hatenablog.com/ 足尾銅山が原因の洪水と鉱毒で鳥獣虫魚も死に絶え、人も移り住んでゆく、足利郡吾妻下羽田。「ニ十歳以下の者この例を知るものなし」と、 鳥獣虫魚も人も豊かに暮らしていた頃の下羽田の土地の記憶を語る…
石垣島のユンタの名手山里節子さんは、昭和12年生まれ。生後間もなく、母親が病気で郷里の新潟に療養に戻ってしまったために、明治生まれの祖母に育てられた。 だから、節子さんは、明治の、日本語を話さなかった石垣島のおじいおばあたちが話していた島言葉…
今はもう使われていないけれども、水は滔々と湧いているようだ。 あめんぼが水面を走っていた。
◆羽村駅 ◆五ノ神社は駅のそば。西友の脇。 神仏分離令以前は熊野社。熊野五社大権現が祀られていたという。 今は、天照皇大神、素盞鳴尊、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、伊佐那美命、事解能男命(ことさかのおのみこと)が祀られている。 ◆五ノ神社前…
どおおおおおっと風吹く日に、八王子城跡あたりをうろうろ。寒かった。 八王子城の城山のふもとに観音堂がある。その脇の木立の中のあちらこちらに石の観音像、千手観音、十一面観音、千手十一面観音と。 これは西国33か所、坂東33か所、秩父34か所の…
以下、宿坊多聞館のHPより。各町の若者の代表が羽黒山山頂に上り、悪鬼・邪悪の象徴とされるツツガムシを模った大松明を作り上げる。斎館で松聖によるお祓いを受けた若者達は大松明の材料となる綱・網・簾などを斎館から山頂まで担ぎ上げる。担ぎ上げた材料…
<羽黒山 荒澤寺 絵図>● 荒澤寺は、羽黒山荒澤口にあり、かつてはここより女人禁制。 ● 現在の荒澤寺 本寺 <羽黒山 正善院 絵図> ● 現在は、羽黒山ふもとの正善院が、羽黒山 荒澤寺正善院として、仏教系修験の本拠地となっている。 ● 湯立に使ったと思わ…
●湯殿山の霊力の源泉、湯殿岩は秘所として描かれていない。 ●湯殿山 注連寺 即身成仏鉄門海上人を祀る寺