2024年9月22日、23日。 能登に芸能のひとときを運ぶ。 

9月22日 北国新聞 朝刊 ◆9月22日 のと千里浜 道の駅 この日は本当は、<こぎつねも森>チームの芸能担当班として、珠洲市若山の正福寺に行く予定だった。 それはもう何カ月も前から現地とやり取りをして、救援物資を揃え、芸能の時間の仕込みもしっかりとや…

阿波根昌鴻『米軍と農民 ー沖縄県伊江島ー 』1973 岩波新書 その1

昨年12月に那覇ジュンク堂一階で開催されていた古書市の、ちはや書房の棚で見つけた本。 1955年 米軍が伊江島真謝地区に襲いかかり、家をブルドーザーで潰し、火を放ち、農地を軍用地として強制収用する。 そこから土に根差し、暮らしに根差し、人であること…

コリアン・ディアスポラと文学 ~流転、追放、ジェノサイド、そして記憶の物語り~ 

コリアン・ディアスポラと文学 ~流転、追放、ジェノサイド、そして記憶の物語り~ @2024年3月3日 九州大学韓国センター 今日は3月3日。2日前の3月1日は、韓国では3・1節。 3・1独立運動の発端となった独立宣言文が読まれた日です。 この独立運動が植民地権…

2023年10月26日 北上に鬼剣舞を観に行った。

北上駅構内に鬼剣舞の人形 駅前には鬼剣舞銅像 朝の北上川 宿の窓から 鬼柳鬼剣舞を観に、鬼柳六軒集落へ。 集落の入口の碑石群 庚申塔 馬頭観音 南無阿弥陀仏 永陽大師? 慧燈大師 見真大師 剣舞稽古場 準備中の舞い手たち これから彼らは鬼になる 岩崎鬼剣…

森作和江 北への旅 その2 メモ

『原生林に風が吹く』簾内敬司×森崎和江 ◆旅のはじまり 道案内人は簾内敬司 木に会いたい、その旅へと急ぐ、森崎和江がいる。 「なぜ、東北は、山を恋うのだろう」 私が今会いたい木は、それら私や私の親世代たちが踏みわたった近代の影などにおびえることな…

森崎和江  北への旅  メモ

『対話 魂ッコの旅 森崎和江 野添憲治』より ◆北へと向かう心 どうして北に行きたいということになるのかなというとね、私、「辺境」という言葉が嫌いなんです。だってどの地方にも固有の生活史はあるんですもの。それぞれの地域にくらしの遺産は深く残って…

2023年7月21日~24日  未来の戦跡地めぐり 青森・下北半島編  その2 大間

7月22日 午前9時 新郷村から大間に車で向かう平葭さんが、 下北を通るときに私をピックアップしてくれることに。「せっかくだから、ヒバの林の道のほうを通って行きましょうね。 恐山もかすめて行きましょうかね」 ということで、恐山をかすめて、薬研温泉の…

福井県勝山 平泉寺白山神社 (この件、勉強中。記述はメモに過ぎず)

奈良から新潟・柏崎に行くのに、白山神社に立ち寄ることにした。 泰澄開基の平泉寺白山神社。 ここの御手洗池(みたらしいけ)で修行する若き泰澄の前に、白山の神・十一面観音が現れたのだという。 今回は特に予備知識もなく訪れたのだけれども、 そしてこ…

森崎和江『北上幻想』 メモ

北に向かうのは、そこが荒蝦夷の地だから。と言ってしまうとあまりにざっくりしすぎか。 近代国家がそのよりどころとした建国神話において、きれいに封じ込められた「いのち」の原風景をそこに見たからと言うべきか。 北に向かう旅は、森崎和江の長きにわた…

赤目四十八滝 散歩  

車谷長吉の小説『赤目四十八滝心中未遂』を読んでから、いつかこの滝に来てみたいと思っていた。 もう小説の内容も忘れ果てたいまになって、室生寺の十一面観音を観に来て振られて(宝物館落成記念式典まで十一面観音は奥に仕舞い込まれていて拝観できなかっ…

2019年12月18日 陸前高田  たね屋さんで、たね屋さんの歌を聴いた。 言葉の発生/発声

半年ぶりの陸前高田。 官製 津波伝承館からまっすぐ海の方へ。 橋を渡って防潮堤へ。 (この橋は、防潮堤と町を切り離す橋のようでもある) 防潮堤には献花台がある。 (ここに献花するのは町の人ではなく、外からやってきた人のようでもある) 防潮堤が視界…

東北行  メモ01

やっと奈良にたどりついた。 東北の旅の間、復興という名の復興ならぬ何か禍々しいものを見続けて、 嵩上げという名の記憶殺しの現場も見て、(いまはまだ現在進行形の現場に立てば、作られつつある歴史の裂け目がまだ見える)、 震災遺構の瓦礫も見て(いや、…

東北行  メモ02

せんだい311メモリアル交流館で、展示を見て、一階スペースに座っていたら、女川出身だという女性に話しかけられた。 「どこから来ましたか」 「奈良からです」 「わたし、女川出身なんです、女川ってわかりますか? 「原発のあるあの女川」 「ええ、わかり…

2020年の東京にはいるまいと思った。それもまたきっかけの一つではある。

2018年11月2日。奈良に移り住むための根拠地の立ち上げ。 あらたなはじまりへの第一歩。

石文化公園のことを考えていたら、宮沢賢治のことを思いが飛んだ。「宮沢賢治の鉱物幻想」を読む。石を思いながら再読する賢治の詩の言葉に無闇に掻き立てられる心。

鎌田東二によって、石に神を感じ取って山中を渉猟する山岳修行者、修験者と同じ感覚を持つ者として賢治は語られる。 その文脈のなかで引用される「石っこ賢さ」の言葉の数々。 わたくしたちは、氷砂糖を欲しいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風を…

最終日  李仲變美術館は工事中で入れず。正房瀑布を訪れたが、4・3の時にそこで虐殺されて、死体も海に散って見つからない者たちの墓(空っぽの墓:虚墓)がある東廣里の交差点はただ通り過ぎるだけだった。

オルレが流行って、市場も毎日オルレ市場と改名した西帰浦の町、そこで私は団体から一人離れて、交差点の角のスタバで山尾三省の『火を焚きなさい』を読んでいる。近代化に抗する道/オルレと言い切るのは、やや無邪気だろう、それでもなお自身のオルレを思…

堂めぐりの後、午後は済州オルレの第7コースを少しだけ歩いた。オルレを発想し、つくりあげた徐明淑(ソ・ミョンスク)氏の案内で。

歩いて生きること、風景はその外側から観るものではなく、その中で生きるものなのだということを、思い出させる済州の道、 徐明淑氏自身がその道にたどりつくまでの人生の長い時間を聴いた。 とりわけ成り行きで我知らず民主化運動の真ん中で活動し、拘束さ…

3日目の午前、団体からひとり抜け出し、「堂」を訪ね歩く。臥屹里本郷堂から、堂めぐりをスタート。

臥屹里→松堂里→金寧里→北村里→新興里→善屹里とまわっていく。 「松堂」 ここは済州島の「堂」の神々の親とされる。 「北村里の海辺の堂」 有名な臥屹里と松堂里のほかは、堂の場所がよくわからない。 タクシーの運転手さんが地元の老人たちに聞いては探す。 …

済州大学の建築学の先生や、詩人の家の主宰の方の話を聞く。(一日目)、43平和記念公園、43の虐殺の村・北村里訪問(2日目)には参加せず、2日目午後の石文化公園からの合流です。

石文化公園に来たのは、四回目だと思う。 それは、この公園を創り出したひとりの男の狂気に引き寄せられてのこと。 男は、島の創世神ソルムンデハルマンと、その五百人の息子である五百将軍の神話を、自分自身の生の神話として、生きている。 男自身の母が「…

2018年10月13日<アナキスト宣言 in 京都>                                       思い起こせば、ここから「死者の声」とあらためてむかってゆく今回の旅ははじまったのだった。最初にこんな宣言をしてしまっているのだから、仕方ない。

『現代説経集』(姜信子 ぷねうま舎)より。 ただし、京都では、京都の声で、本文どおりには語っておりませぬ。 - 実を言えば、わたくし、ここのところ、恥ずかしながら「水のアナーキスト」を名乗っております。どうか陳腐な名乗りだと笑わないでください、…

10月19日深夜。ようやく東京に戻った。 鹿児島では忘れがたい出来事。

宗像から鹿児島の写真記録は ↓ にある。 宗像多禮の修験の跡をたどり、鹿児島ではハンセン病療養所の「死」をめぐる風景。 http://omma.hatenablog.com/entry/20181021/1540090780 敬愛園では、忘れがたい出来事。具体的な場所は言わない。その場所に入った…

ぐるりと20数年の旅がひとめぐりして、気がつけば、生死のあわいに立つ者たちの声が私の中でこだましている。

それは「死者たちの声」とも言えるし、生きながら「死」を生きる者たちの声とも言えるし、いずれにせよ、私はますます死者たちとともにいるのだとつくづく感じたのが今回の旅。宗像には、「死」を特別なこととして受け止めない、草木がだんだんと枯れていく…

姜信子、祭文語り八太夫の「旅するカタリ」の二人組は、不知火浄瑠璃(しらぬいじょろり)と称して石牟礼道子作品を浄瑠璃語りで語りながらの旅の途上、10月15日より宗像におります。

縁あって、宗像市多禮の公民館で、『あやとりの記』の世界、そして『西南役伝説』より「六道御前」を、祭文語り八太夫を語り手に、私は狂言回しの役割で、上演することとなったのです。ここ多禮には、人の死を、生からの地続きの自然の成り行きなのだと受け…

砂けぶり 二

焼け原に 芽を出した ごふつくばりの力芝め だが きさまが憎めない たつた 一かたまりの 青々した草だもの両国の上で、水の色を見よう。 せめてものやすらひに―。 身にしむ水の色だ。 死骸よ。この間、浮き出さずに居れ水死の女の印象 黒くちゞかんだ藤の葉 …

国文学の発生  「てっとりばやく、私の考えるまれびとの原の姿を言えば、神であった。第一義においては古代の村々に、海のあなたから時あって来り臨んで、その村人どもの生活を幸福にして還る霊物を意味していた。

と、『国文学の発生』(第三稿) まれびとの意義 において折口は書く。また、その「五 遠処の精霊」において、「沖縄の八重山」にその類例を見る。 「村から遠いところにいる霊的な者が、春の初めに村人の間にある予祝と教訓を垂れるために来るのだ、と想像…

「心安らかに居られる家郷を離れて、未知の地を久しく旅する者達は、一日の終る頃や夜の時間になると、限りなく魂の不安動揺するのを感じた。それを鎮めるための効果ある方法は、旅をする一行の者が共に静かな心、静かな言葉をもって、旅中の思いや風物を歌い鎮めることであった。

これを、 「旅の夜の鎮魂歌」 と、岡野弘彦が冒頭の解説に書く。意味深い言葉。 旅の夜の鎮魂歌。 旅中の一行の共同の呪的な祈りと歌の場。 まれびとと文学発生の場の光景の鮮やかなイメージのひとつ。

震災から一年半後に、線量計を携えて、自転車で、奥の細道をたどった記録だ。忘却と記憶の分岐点で、金まみれ嘘まみれの忘却への標識を拒んで歩く記録だ。

たんたんと旅はつづく、たんたんと読んであとをついてゆく、 この道は忘却と記憶の分岐点ばかりで形作られている道なのだ、 人間の記憶なんてはかないもので、まだ終わっていない震災すら忘れてゆく、 分岐点にとってかえして、記憶の方へと歩き直すのは、か…

足尾銅山の煙害と、山の乱伐で滅びた松木村跡(松木沢)に行ってきた。

風が吹いていた。山と山に挟まれた道をゆく、その後ろから、どっどど どどうど どどうど どどう、唸りをあげて風が追いかけてくる。 又三郎だな。 山を風が駆け下りてくるのが見える。風が蹴立てた土埃が風と一緒に山肌を走ってゆく。風の音は、ここにある。…

庭田源八翁の書いた「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」から立ち上がる声に誘われて、渡良瀬川のほうへと小さな旅。

旅の記録は、↓ にある。http://omma.hatenablog.com/ 足尾銅山が原因の洪水と鉱毒で鳥獣虫魚も死に絶え、人も移り住んでゆく、足利郡吾妻下羽田。「ニ十歳以下の者この例を知るものなし」と、 鳥獣虫魚も人も豊かに暮らしていた頃の下羽田の土地の記憶を語る…

いまを生きるカタリを考えるために。その2 石垣島から

石垣島のユンタの名手山里節子さんは、昭和12年生まれ。生後間もなく、母親が病気で郷里の新潟に療養に戻ってしまったために、明治生まれの祖母に育てられた。 だから、節子さんは、明治の、日本語を話さなかった石垣島のおじいおばあたちが話していた島言葉…