連歌は瞬間的な世界変換、あるいは脱構築の連鎖によって成立する多声的で未完結の開かれた体系である。
和歌が一つの世界に没入するものとするならば、連歌は常に相手の言っていることを理解したうえで、別の世界をどのように自分にぶつけていくかが問われる。
つまり、他者理解をしたうで、それに対して批評性をもって、新たな世界を批評として構築していく。
連歌とは、つまり、そのような批評の連続なのである。
連歌が流行するとは、非常に醒めた批評の精神が横溢しているということでもある。
そこは社会から断ち切られた特別な場。無縁の自由空間。そこは冥界に通じる超越的な場でもある。
つまりは、境界的な場。無縁平等な人間集団の場。
それは「一揆」というきわめて中世的な人間結合の現象につながってゆく。
一揆とは、一味神水という神前の儀式によって一切の社会的な関係を断ち、なんらかのシンボルのもとに平等の支配する自律的な無縁の共同体を構築すること。
(思うに、それは、旧秩序の終わりの混乱・混沌の中から新しいはじまりをめざして結ばれた開かれた共同性、ということもできるだろう、今のこの時代にもっとも必要なものでもあるだあろう、連歌の精神、一揆の精神を今ここにどのような形で呼び出すか、それをじりじりと考える)