読書

『ショウコの微笑』(チェ・ウニョン CUON)  メモ

神保町でこの作家を見かけたことがある。 柔らかで穏やかで物静かな気配をまとった若い女性だった。 そんな気配の奥底に、 すべての生きづらい人々に寄り添うのだという、 すべての哀しみを分かち合うのだという、 希望の宿る場所は誰も知らないこの世の片隅…

石牟礼道子の夢の光景  『苦海浄土』第二部 第四章「花ぐるま」より

河出書房版『苦海浄土』P343下段~ 思えば潮の満ち干きしている時間というものは、太古のままにかわらなくて、生命たちのゆり籠だった。それゆえ魚たちにしろ貝たちにしろ、棲みなれた海底にその躰をすり寄せてねむり、ここら一帯の岩礁や砂底から離れ去ろ…

『越境広場』第7号 金東炫「なぜ済州から沖縄を読み解くのか」  メモ

「済州から沖縄を読み解くことは「国家とは何か」を問うと同時に、「国家」を経由しない地域の思惟と連帯の可能性を打診することである」 [前提] 太平洋戦争末期、済州もまた、沖縄同様、本土決戦に備えての捨て石の島とすることを想定されていた。 日本の…

文学の秘密を語る声。/『越境広場』第7号 中村和恵「ほおろびに身を投じる――エドゥアール・グリッサン『第四世紀』に見出すモルヌの風とカリブ海のもうひとつの歴史/物語」

『越境広場』第7号。女の声が強く響く『サルガッソーの広い海』(ジーン・リース)と『第四世紀』(エドゥアール・グリッサン)を対比させつつ、カリブ海の作家たちの「もうひとつの物語」を見渡しつつ、正史のなかには存在しない口承的記憶と文学について語…

『沖縄と朝鮮のはざまで』 メモ    牛馬としての朝鮮人「軍夫」

動物化というキイワード。 証言1 古堅には朝鮮人の軍夫もたくさんいたが、日本軍に牛馬の扱いをされていてとてもかわしおうだった。あるとき、私の家の前で、一人の朝鮮人軍夫が、日本兵に激しく叩かれて「アイゴー、アイゴー」して泣いていた。 証言2 (…

「不知火曼荼羅」石牟礼道子 (砂田明『海よ母よ子どもらよ』より) 

明後日2020年5月9日 必要で、緊急な、大事なことのために、水俣を訪れる前に、乙女塚の塚守であった故・砂田明さんの本を読んでいる。 その本に寄せられている石牟礼道子さんの文章から。 ----------------------------------------------------------------…

土のことを何も知らなかったんだな。『土の文明史』(デイビッド・モントゴメリー) メモ

認識を変える記述のランダムな抜き書き ◆宗教改革 十五世紀には、教会は地域によっては五分の四もの土地を所有しており、貴族をしのぐヨーロッパ最大の地主となっていた。教会の土地を取り上げることをもくろんでいた君主とその支持者は、小作人の間に拡がっ…

『列島祝祭論』やっと読了。」

安藤礼二『列島祝祭論』読了。 実に面白かった。 著者あとがきから。 いびつな近代を真に乗り越えていくためには一体何をなせば良いのか。 (中略) 現在を知り、現在を根本から変革していくためには政治の革命、現実の革命のみならず、宗教の革命、解釈の革…

今日読んだ詩 

ぼくが水を聴いているとき ぼくは 水であった ぼくが樹を聴いているとき ぼくは 樹であった ぼくがその人と話しているとき ぼくは その人であった それで 最上のものは いつでも 沈黙 であった ぼくが水を聴いているとき ぼくは 水であった (山尾三省「水」…

太古の芸能の力について。 メモ

『列島祝祭論』「国栖」の章にて、安藤礼二いわく、 「芸能によって地上にもたらされる霊的な力は、現実の諸制度の基盤となった物質的な力である武力を凌ぐものであった」 「天皇のもつ力と芸能者のもつ力が等しかった」 cf)日本書紀 天武紀四年 二月の項 …

佐藤弘夫『アマテラスの変貌 中世神仏交渉史の視座』メモ

神仏習合、本地垂迹の問い直し。 (問1)神仏習合は、異質な存在としての神と仏という観念の成立を前提としている、というのは本当だろうか? (問2)本地垂迹の「本地」の仏とはいかなる仏なのか? 古代、神は「祟る神」であり、「命ずる神」であった。 …

『オーバーストーリー』リチャード・パワーズ

これは、もうひとつの『未知との遭遇』なんだな。 ただし、最初の『未知との遭遇』は宇宙からやって来たけど、 この『未知との遭遇』は、地球のなかの、それもすごく身近な、でもすっかり忘却のなかの存在となっていたものとの遭遇。 「未知」に呼ばれる者た…

本を読みつつ、雑感。

「希望なき人々のためにこそ、希望は私たちに与えられている」 by ヴァルター・ベンヤミン 「神話の呪縛を断ち切りながら瓦礫の山を掘削する思考が、「忘れがたい」生の記憶を探り当て、それを今ここに呼び覚ます像に結晶するとき、時代の闇を貫く道を切り開…

岩波新書『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ

まずはプロローグから。 <死者の記憶を呼び出す言語><死者と共に生きる生者の言語><名づけとしての言語>を思いつつ、読みはじめる。 パリ、プラハで見たホロコーストの死者たちの碑に、記憶のかぎり刻みつづけられる「名」を想い起こしつつ。 (歴史の…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその3

水俣に行く前に、じっくり読みたいと思っていた『分解者』を読了。 近代合理主義と植民地主義と今となってはグローバル資本主義がもたらす徹底的な「分断」を、いかに「分解」するか? 生産者/労働者/消費者でしか存在しえない存在となった人間が、分解者…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその1

水俣で野生集会を持つ前に、『分解者たち』を少しずつ読む。 見沼田んぼに追いやられてくる「ごみ」、「排泄物」、「遺体」、「障害者」、「鶏や乳牛などの家畜、様々な生きもの」、そして「農的営み」。 それは「首都圏/東京という歪に肥大化した身体の肛…

小野十三郎  メモ

「犬」 犬が口を開いて死んでいる。 その歯の白くきれいなこと。 (「抒情詩集」より) 革命は、人間の耳、聴覚に対しては最もおそくやってくるか、或は永久にやってこない。それに反して、旧い勢力や古い秩序の立ち直りときたら、これはおどろくべき早さで…

清田政信『渚に立つ』(共和国) メモ

「渚に立つ。これは寂寥から立ち直れない者がなすことのできる最後の行為だ」 この声は、近代に在って、風土に立って、古代の力に触れ、近代を越えることを考えぬく者の声。 折口信夫に触媒に沖縄から放たれる声。 返信0件のリツイート0 いいね 返信 リツイ…

金時鐘「私の八月」より  (メモ)

国家と国民と植民地の民と。 いまいちど、自分自身の来歴を考えるために。 ”終戦”時、「戦勝国に準ずる解放された国民」とみなされた私たち在日朝鮮人は、一九四六年十一月五日と十二日の連合軍総司令部からの一片の声明「まだ本国に帰還していない者は日本…

『無謀なるものたちの共同体』(李珍景 インパクト出版会)

まずは序から。 野生会議99 立ち上げにあたって、肝に銘じる言葉。 脱近代的なコミューンであれ、前近代的な共同体であれ、 類を問わず、共同性は資本との対決なしには存続できない。そもそも資本主義は、共同体を解体し、ひとびとを寄る辺のない無力なひ…

そうか、ほんとうに生きるためには<野垂れ死にの精神>が必要なのだ。と痛切に思う。これは「問いの書」。生き惑え、生きなおせ、そのためには他の誰でもない自分の目で世界を観よ、自分の体で世界を感じとれ、と覚悟を突きつける「問いの書」。 

金満里。1953年生まれ。在日朝鮮人二世。母親は朝鮮古典舞踊の芸能者。 三歳でポリオを発症し、首から下が麻痺という重度障害を生きることになった。 そして今は演者は身障者だけの劇団態変の主宰者。 その人生の身世打鈴を読む。 ・施設に隔離されるように…

熊本日日新聞2019年1月6日掲載。

『建設現場』は、『現実宿り』からの大きな流れから生まれ出たもの、 だから、『現実宿り』から読むと、この世界には入りやすいと思う

「これは私の記憶なのか。それとも場所そのものの、島そのものの記憶なのか。場所の記憶が、島の記憶が私に喚びかけ、働きかけているのか」

明治以前、西の高野山とも呼ばれ、修験道の島であった「遅島」の記憶。 昭和の戦前の時代に、その記憶は既に遠いものとなっている。というのも、明治初年に、修験と神仏習合の世界が明治政府の神仏分離令とそれによって引き起こされた苛烈な廃仏毀釈によって…

重要なのは両者(寓話・象徴)ともに世界の多様性が安易に一義化されてはいないということです。

●これ(↑↑)はアフリカのセヌフォ族のフィールドワークに入った中島智の言葉。 この言葉は、さらにこう続く。「そういうわけでセヌフォの人びとも文字を学んだ者に対しては基本的に秘儀を伝授しません。これは意味の一義化、固定化の指向を招くものだからで…

これは ⇑ 坂口恭平『建設現場』のなかの言葉だ。年末の予言のような言葉。

抜き書きしながら、自分の声も書きとめながら、これだけ読んでは意味をとりがたいであろう言葉の群れ。 もう崩壊しそうになっていて、崩壊が進んでいる。体が叫んでいる。体は一人で勝手に叫んでいて、こちらを向いても知らん顔した。 日誌にはなにか記録さ…

『野の道』の最後はこう締めくくられる。

野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さそうな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるからには小さな幸福を肯しとする、慎ましい意識がここにはある。宮沢賢…

祀られざるも神には神の身土がある。

これは宮沢賢治『春と修羅 第2集』 「産業組合青年会」からの言葉だ。 同じ言葉が、「作品三一二番」にも現われる。 - 作品三一二番 正しく強く生きるといふことは みんなが銀河全体を めいめいとして感ずることだ ……蜜蜂のふるひのなかに 滝の青い霧を降ら…

山尾三省の言葉を読むうちに、わけもなくざわめく心がだんだんと鎮まってゆく。

ここに書かれているのは、自我の外部へと出てゆくということ。 【問い】 いかにして「野の道」をゆくのか?「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思…

シャマン・ラポガンは、文学におけるタオのことばと中国語の文字の関係を語る。これはとても大事なこと。

親愛なる日本の読者のみなさん、私は小説や散文を書きますが、私が文を書く“母体”はタオ語で、文字は漢字です。漢人(漢民族)の読者は、最初、私の作品を読むと、みんな私が書く漢字は“可笑しい”と感じるようです。その後、友人が私の作品の漢字や文法を直…