読書
ここ数日の読書。 どれも、諦めることなく、息の長い「革命」を問いかける書物。 ここで言う「革命」というのは、フランス革命みたいのとは違いますよ。 「ひとりきりであることに不安を持つのをやめた者たち」が、権力の軛を断ち切って、自分をなくすことで…
この本は2003年刊行。アルンダティ・ロイはインドの作家、批評家。 これは、2001年9月11日のいわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」以降の、「我々の側につくか、それともテロリストの味方をするか」(byジョージ・ブッシュ)というクソ単純大バカ野郎発言に…
『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』(イラン・パぺ著 田浪亜央江・早尾貴紀訳 法政大学出版局)を読んでいる。 怒りながら読んでいる。 イスラエル建国前夜、1947年11月29日に国連でパレスチナ分割(ユダヤ人支配地域とパレスチナ人支配地域)が…
<森崎和江の問い ①> 私たち日本民衆にとって、朝鮮問題とは何なのか。それを思想として問う意味はどこにあるのか。 ◆ 民族的接近は、底辺の民衆ほど直接的である。 (つまり、互いを知る前に、双方ともに使い捨て労働力として底辺に閉ざされた。港湾労働、…
三井三池の争議で与論島からの移住労働者に出会ったことで、森崎和江の眼差しは、さらに沖縄へと伸びてゆく。 <沖縄を考える際の森崎和江の前提 日本と沖縄の非対称な関係> 「沖縄と日本の支配権力との関係は、その統一国家をめざした時から常に一方的な関…
連想と妄想は音が重なり合う瞬間にホップステップジャンプでワープして、気がつけば、死者を乗せて走る銀河鉄道はこの世のすべての理不尽な死者の森を貫いて走り、理不尽な死者はあまりに多いから、世界は森で埋め尽くされている、満洲の丸太のような、死者…
日本の敗戦の日に読むのは、堀田善衛『方丈記私記』。1945年3月18日、東京大空襲直後の深川の様子を見に行った堀田善衛は、天皇の被災地視察に行き合い、後にも先にもないおどろきに襲われる。それを堀田善衛はこう書いている。「あたりで焼け跡をほっくりか…
二十世紀を駆けぬけて 敗戦後も間もない日、焼けなかった京都から故郷へ立ち戻った私は、広島の町を一望に見おろす比治山に登って、国見におよんだ。 焼き尽くされて灰燼と化し、七つの河だけが陰刻となった町の後は荒涼として奇妙に静謐、鬼気迫る惨景であ…
2009年3月に東京大学で開催されたサラ・ロイと徐京植の対談に先立ち、徐京植がサラ・ロイの「ホロコーストとともに生きる」へのレスポンスが語られた。 そこで徐京植は、 世に流通する「ユダヤ人対アラブ人」「ユダヤ人対イスラム教」という単純で暴力的な対…
たとえば、民主主義の発祥は古代ギリシャだと言われる。 しかし、それは、身の回りのお世話を誰かにしてもらっている男たち(=市民)が担うもので、彼らのお世話をしている奴隷や女たちは市民ではない。 奴隷や女たちの無償の労働の上に立って、自由だの、…
高秉權。この韓国の哲学者が書くものは、とても好き。 哲学・思想がこの人の体をくぐり抜けると、社会を底から変えてゆく実践と結びついてゆく。小さな声を封じることで成り立つ近代社会を支える人文学ではなく、変革の人文学が見えてくる。 『黙々」は、199…
昨年12月に那覇ジュンク堂一階で開催されていた古書市の、ちはや書房の棚で見つけた本。 1955年 米軍が伊江島真謝地区に襲いかかり、家をブルドーザーで潰し、火を放ち、農地を軍用地として強制収用する。 そこから土に根差し、暮らしに根差し、人であること…
黒川さん、チェホフが好きだけど、チェホフ好きな自分がいやなのかな。 詩人アンナ・アフマートヴァみたいに。 私もチェホフは好きです。「曠野」とか「学生」とか、とても好きです。 たとえば、「学生」。 実家のある田舎の村に帰ってきている神学生イワン…
歌集『月陰山』。 これは、植民地において最初に朝鮮人によって編まれた歌集。 尹徳祚は、2024年刊の『密航のち洗濯 ときどき作家』が基にした日記の主である尹紫遠と同一人物。 戦後、生きる術を求めて日本に密航してきた尹紫遠は歌を詠むことはなかった。 …
面白いな。 金達寿ら横須賀在の朝鮮人たちは、解放後すぐに旗を作ろうとして、太極旗の四隅の「卦」がわからなくて、それを覚えている古老を探しまわったのだという。 植民地の民に、旗なんかなかったんだね、朝鮮人の文学も日の丸以外の旗なんか立てようが…
植民地支配という近代日本の負債を通して、サハリン(樺太)の日本語文学は、非日本人の作家・李恢成へと引きつがれた。 と黒川創は書く。なるほど、確かにそうかもしれない。 1981年にサハリンを訪れた李恢成は、現地で会った師範大学で経済学を教える朝鮮…
yomukakuutau.hatenadiary.com 2023年12月7日の記事の補足。 近代文学が獲得する「女たちの話体」という見出しのもと、序で以下のようなことを、黒川さんは語る。 「漢字文化圏」としての極東アジアにおいて、漢文という書き言葉の教養は、女性を除外するホ…
2024年の最初の一冊は、コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳 光文社文庫)。読みなおし。コッポラの『地獄の黙示録』のイメージが強すぎて、それを振り払いながら、 若き頃にコンゴ川をさかのぼっていった老船乗りマーロウが、闇の中で見て聞いて経験したこと…
キム・ヨンス『七年の最後』(橋本智保訳 新泉社)を読んだ。 これは、北朝鮮の体制の中で、ついに、詩を書かないことで自身の文学を全うした詩人白石の、詩を書かなくなる最後の7年を描く物語であり、キム・ヨンス自身の文学観が語られている物語でもある。…
近代の言文一致体を作り出すために、どれほどの苦労があったことかと、 文学史において、二葉亭四迷やら、山田美妙やらのさまざまなエピソードや、 鴎外や漱石の文体について触れてきたわけであるけれど、 『「日本語」の文学が生まれた場所』の黒川さんの序…
まっくらな闇の中を歩みとおすとき、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である。 ヴァルター・ベンヤミン 「師よ、わたしたちが善き友を持ったならば、仏道の半分を完成したことに等しいと思いますが、いかがでしょうか」 「アーナンダよ、違う。…
この人は、なんというか、言語原理主義のように感じる。 すべてを言語から説明をつけようとする。 日韓の違いとか、差別の構造とか。 明晰さより、息苦しさが先に立つ。 日本と韓国とのはざまで、日本と韓国に囚われて生きること、そう生きざるをえないこと…
① p57~58 逃げる。 思えば生まれた時から逃げ回っているような気がしてならなかった。チョウセンと言われないために、変な目で見られないために、酒ぐせの悪い親父から、貧乏から、汚ない家から、朝鮮部落から、土方から、キムチから、チマチョゴリから、朝…
「ぼくの経験では、歴史を動かすのは多数派じゃないんです。ほんとうに志のある何人かですね」
近代国家とは、 「ある一定の領域(中略)のなかで、レジティマシーを有する物理的な暴力行使の独占を要求する(そして、それを実行する)人間の共同体」(マックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』より) 近世においては「仁政イデオロギ…
『実践 日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C・スコット)を読んで、いろいろ楽しくなったというか、心が軽くなったと言うか。 この世界の問題があまりに大きすぎて、いったいどうしたらいいんだろかと立ちすくんだり、途方に暮…
1930年代 満洲東部 北間島(現在の中国延辺朝鮮族自治州)において「民生団」事件という、朝鮮人の抗日遊撃隊の根拠地における朝鮮人同士の虐殺事件が起きた。 それがこの物語の背景。 民生団(1932年2月~10月)という見慣れない団体については、水野直樹先…
2020年暮れから読み始めて、2021年元旦に読み終えた、今年最初の読了本。 いきなり、こう始まる。 私の名前はアリシア。女装ホームレスとして、四つ角に立っている。 君はどこまで来たかな。君を探して首をかしげているよ。 アリシアがいかにしてア…
神保町でこの作家を見かけたことがある。 柔らかで穏やかで物静かな気配をまとった若い女性だった。 そんな気配の奥底に、 すべての生きづらい人々に寄り添うのだという、 すべての哀しみを分かち合うのだという、 希望の宿る場所は誰も知らないこの世の片隅…
河出書房版『苦海浄土』P343下段~ 思えば潮の満ち干きしている時間というものは、太古のままにかわらなくて、生命たちのゆり籠だった。それゆえ魚たちにしろ貝たちにしろ、棲みなれた海底にその躰をすり寄せてねむり、ここら一帯の岩礁や砂底から離れ去ろ…