石牟礼道子さんが1975年、48歳のときに書いた「みそぎの渚」を読む。ひたひたと静かな哀しみが胸に満ちてくる。
「生きていて相逢うことのできえないなにかを、わたくしどもは持っていると思うのです。肉親とも友人たちとも、未知の魂を持った人びととも、相逢えない距離だけが互いの絆のように無限の弧をひいて、思う相手の間にかかっています。まかり間違ってもたやすく連帯などとはいうまい。支援するなどと恥の上塗りをいうまい、と自分をいましめています。ただ、ひとには云えぬ羞かしい志だけがあり、季節をうしなった蛍のようにときどき微かに灯るだけだと思うのです。(…中略) わたしが持っているのは、確実なかなしみだけで。」
来週、本当に久しぶりに、熊本に石牟礼さんを訪ねる。