「トーロク泥棒」は『文学界』1972年5月号に発表。

制服制帽をトーロク(外国人登録)代わりにし、友人のトーロクを盗んだ男。
密航船の飲料水用の予備の貯水タンクに潜んで、予定がのタンクへの注水のために溺死した男。


死にかけている魚と、溺れる魚としての、ひとりの男がいる。


「そのとき、水槽の中の魚群の運動のリズムに支えられた小宇宙の秩序が乱れかけた。一匹が、それはハマチのようだったが、よたよたと水中で倒れながらも一直線に水面へ向って浮上して行ったのだ。それは揺れるはずのものではない首を打ち振るように全身を揺さぶり尾を大きく動かして体をかわすと、水槽を見つめているこちらに向って突進してきて、無惨にその口先を透明なぶ厚い壁にぶっつけた。白く剥がれてぼろぼろになりかけた口先にたちまちうっすら血がにじんで水に洗われて行く。(中略)それはまるで魚が溺れている恰好だった。いや、溺れるものの最後のあがきにも似ているのである」


「溺れるもの……人間、水槽で揺れる死体……大阪に住んでいた男」

予備タンクの水は船内のの水道の蛇口からどんどん流れ出す、人々の体内を通過する、やがて水は異臭を放ち、蛇口からは髪も流れ出る。


匂い立つ描写。