10月19日深夜。ようやく東京に戻った。 鹿児島では忘れがたい出来事。


宗像から鹿児島の写真記録は ↓ にある。
宗像多禮の修験の跡をたどり、鹿児島ではハンセン病療養所の「死」をめぐる風景。


http://omma.hatenablog.com/entry/20181021/1540090780



敬愛園では、忘れがたい出来事。

具体的な場所は言わない。

その場所に入ったとたんに、空間が歪んでいるような、明るいはずなのに光が届いていないような、とてもそこには居続けられないような感覚に襲われた。
本来、そこは私がいなければいけない場所だったのだが、他の方に場所を代わってもらった。

後刻、その方が言うことには、私の思い過ごしと軽く受け止めて場所を替わったが、自分もまた、なにか見えない力を強烈に体に受けた、そのとき周囲では話し声や物音がしていたと。

あ、声を届けにいらした方々がいるのだな、と思った。
まだまだ声はさまよいの中にあるのだな、と思った。



思えば、この旅は京都ではじまり、その時私は、
「私の体の99パーセントは死者の声でできている、残りの1パーセントは空白の空っぽで、そこが生と死のつなぎ目となるのだ」と語っていたのだった。