「なんの変哲もなさそうな奥山の森林にも、よく見てみれば人間の歴史が刻まれている。」P157

熊野川流域は古代から、鉄、銅、金、銀、水銀などの採掘がさかんだったから、キリクチ谷に最初に入ったのも鉱山師であったかも知れない。


だがこの谷ではじめて生業を営んで済んだ者はといえば、それは木地師ではなかろうか。

木地師というのは、轆轤など特殊な道具を用いて、椀、盆、高坏、杓子などを彫る工人のことである。彼らは近江国小椋谷(現・滋賀県神崎郡永源寺町)に神社を祀り、惟喬親王をその職能の祖として信仰し、そこを一族発祥の地としながら、木地の原木を求めて山々を渡り歩いた。




この項、つづく。