山のものは山へ、川のものは川へ  『いざなぎ流祭文と儀礼』メモ

高知県旧物部村。いざなぎ流太夫のひとり計佐清太夫の言葉。

山の神を祭るときにとくに注意すべきは、これら眷属たちをきちんと祭ることにある。眷属たちにたいして「言葉をかけてやる」ことが必要なのだ。それを忘れると、山の神の祭りそのものがうまくいかない。 

 

 

※山の「眷属」とは―――

◆道六神(道の神)、

◆四足(四つ足の獣、山の動物たちの魂魄)、

◆すそ(人の憎しみ、妬みのあらわれ、その魂魄、いわゆる呪詛と区別するが重なるところもある)

◆山みさき、川みさき―――大川、小川などが合流しているところに棲息する山川の魔物。

◆六道神―――山や川で不慮の事故で死んだ者の魂魄。無縁仏となっているもの。キュウセン、山スズレ、川スズレともいう。

 

物部の山々には、数多くの山のものたちが棲んでいる。八面王・六面王・山姥・山爺・山女郎・山の魔・川の魔・山犬・山猫……。

 

旧物部村別役 小松神社 定例の祭祀に先立って、いざなぎ流太夫によって行われた臨時祭(昭和62年11月27日)

神社参道改修工事、一の鳥居の洗い清め、二の鳥居の建て替えに際して、工事の無事を「願かけ」したことへの「願ほどき」が目的。

 

参道や鳥居建立の工事、作業を進めるうちに、山の木を伐ったり、山や川を汚したり、また工事に携わった人たちの間に、何か言い争いごとなどがあったかもしれず、そのために神様にたいして「曇り」や「隔て」ができた。工事によって、山のものや川のものを「起こしてしまった」から、「山のものは山へ、川のものは川へ」、送り鎮めねばならない。また人々の言い争いによる曇りや隔ても「きれい」にしなければならない。それが今回の臨時祭を行なう理由である……。(by計佐清太夫) 

 

山のものは山へ、川のものは川へ

 

侵犯すれば、祟りがある、山のもの、川のものに憑依される、あるべき場所、生きるべきところに、それぞれが境を侵すことなく、それぞれを尊んで生きるということ。