不可視の島を存在せしめるものは……?

読売新聞書評面(2月13日)に、今福龍太氏による『あなたたちの天国』(李清俊著 姜信子訳 みすず書房)の書評が出た。
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20110214-OYT8T00235.htm

文学を文学としてまっとうに読んで書評してくださったことが、なにより嬉しい。文学を文学として読む? そんなことは当たり前、言うまでもない!と言われるかもしれないが、実はそんなに当たり前でも、簡単でもなさそうだというのが最近の実感。特にハンセン病のような、社会的に作られたイメージの強いものが、素材として扱われている場合は。所与のイメージの強さに飲まれぬ想像力・思考力を持ち合わせていなければ、ハンセン病の周辺だけをうろうろして読書は終わってしまう。

確かに『あなたたちの天国』の舞台はハンセン病の島。しかし、書かれているのは「ハンセン病について」ではない。ところが、「ハンセン病」という言葉に引きずられ、イメージに振り回され、「ハンセン病」というべたな言葉や事実だけに終始する読み手が想像以上に多かった。今までで一番驚かされたのは、ある都内の書店で、この小説が「文学」ではなく「医療」の棚に置かれていたこと。書店員さんは、帯にある「ハンセン病」という言葉に、中身を見るまでもなく、脊髄反射で反応したんだろうなぁ……。他の言葉はすべて吹き飛んでしまったのだろうなぁ。

脊髄反射で視野の外に放り出される、大切なモノ・コト・ヒトの領域は、どんどん広がっているような気がしてならない。脊髄反射は行間を読むということとも無縁であるから、文字や言葉に対する反応が脊髄どまりになって、だんだんと脳を経由しなくなっていけば、行間・余白・空白・沈黙の中に潜む見えないもの、聞こえないもの、でもそこに確かにあるもの、それをないことにしたら人間そのものもないも同然になるような秘密も、どんどん視野の外に放り出されていくのだろう。それは、ちょっと、空恐ろしいことだなぁ、と思っている。

「不可視の島を存在としてあらしめるためには、私たちは「楽園」「自由」といった美しいことばを一度捨てさらねばならないのかもしれない。いま、ここの真実に気づくために。深いメッセージを反芻しながら再読を促される書である」(今福龍太氏書評より)。