死者とともに死ぬ生者

ブックギャラリー・ポポタムで、チェチェンイベント。2001年2月にロシア軍によって数多くの非武装の民間人が虐殺されたアルディ(グロズズイの南の端のほうの村)の、当時の凄惨な映像とそれを2009年に証言した村の人々の映像によって構成されたドキュメンタリー映画『アルディ  時効はない』を観た。この映画のなかでインタビュアーとして登場する人権団体『メモリアル』の女性は、その映像が撮られた数ヵ月後に暗殺された。

2004年に私はアルディ村からカザフスタンアルマトイに難民として逃げてきた一家に会っている。そうか、彼らはこんな無残で理不尽な現実から逃げ延びてきたのか……。2011年の今、頭をがんがんと叩き割られるような思い。

ドキュメンタリーの証言の中の言葉。

「私たちは生き延びたけど、生きているのではなくて、生きた屍にすぎません」
「外気の寒さに血から湯気があがっていた」(虐殺現場の血だまりからの湯気…)
「生きてはいるけど、心は死んでしまいました」
「彼らは今も私の前に立っています」(虐殺事件当時のロシア兵たちの姿が目の前に、いつまでも……)
「私は生理的にロシア語が話せない」(心の傷がロシアを拒ませる)


済州4・3を思い、3・11を思いつつ、チェチェンからの声を聞いた。

死んだのは死者たちだけでなく、生者もまた死んでいる、そういう世界に私たちはいる。