沖縄に行く前に、これは観なくてはと思っていた。



山城千佳子『創造の発端 −アブダクション/子供ー」を新宿で観てきた。
面白かったなぁ。

プレスリリースにこうある。

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「山城は、これまで沖縄戦の記録と記憶の継承に始まり、在沖米軍基地によって引き起こされる沖縄が抱えてきた複雑な状況と向き合い制作を続けてきた作家です。現実とフィクションの狭間で高度な比喩によって映像化された作品は、鑑賞者にさまざまな解釈を呼び起こしてきました。

本展にて上映展示される『創造の発端 ―アブダクション/子供―』は、ダム・タイプの元メンバーでダンサーの川口隆夫が、舞踏家の故・大野一雄の伝説的な舞台を「再現」するプロセスに山城が密着取材した映像作品です。
川口が他者(大野)を自らの身体に取り込もうとする行為の記録は、ただのドキュメンタリーでは終わらず、得体の知れない剥き出しの身体となって観者の前に立ち現れます。沖縄を通じて「他者との接触、その継承」を一貫したテーマの一つとして制作してきた山城だからこそ撮影できた濃密な空間を、この機会に是非ともご高覧ください。

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川口隆夫が大野一雄の動きをデッサンする。朝、起きて、パンを食べて、シャワーを浴びて、髪を洗って、ぶるんと水をとばして、そして荷物をまとめてコンクリート打ちっ放しのがらんとしたスタジオに行き、パソコン画面を覗いてはデッサンする。モノクロのデッサン。何枚も、何枚も。

一緒に観ていた屋敷画伯が言うことには、膝の内股になる曲がり具合、力の入り具合、それが全然デッサンできてなかったのだと、体の動きを写し取れてない棒立ちだと。なのに、川口隆夫の体のほうは、見事に大野一雄をデッサンしていたのだと。手を動かして、紙に動きを落としていく、その運動が、手から体へと動きを流し込んでゆく、体から体へと伝わっていく動きは、しかしコピーにはならず、川口の骨格、息遣い、鼓動をなぞって生まれ変わっていくことになる。

創造の発端。
創造する、生まれ変わる体の、その手には花が捧げ持たれている。
誕生。


ひとりうごめく川口の体にはあちこちに傷がある、それは沖縄の鍾乳洞の泥の中をはいずりまわったときについた傷らしい。いつか誰かが鉄の暴風を逃れて洞窟の泥の中をはいずりまわったように、いつか何かが地の底、水の底で、はいずりまわって血を流して生き返りの命を得たように、この世に生まれ落ちた瞬間から傷を負っている魂のように、川口は裸で泥の中を這いずって、転げて、気がつけば、洞窟からは遠く離れた都市のどこかで、ひびわれた大地となって横たわっている。転生。転移。そう、人間はひびわれた大地だ。花はどこにいったのだろう。

大野一雄の、魂から先に動き出す、体がそのあとを追いかける、そんな大野の動きを川口隆夫の体が追いかけてゆく、追いかける体よりも速く川口隆夫の魂が動いてゆく。そういう光景を観たようでもある。

魂から体へ、体から魂へ、動きが、記憶が伝わってゆくその時差が、傷ついた傷に、ひびわれた大地に、刻印されているようでもある。あの傷、あのひびによって目に打ち込まれる何か、そして結ばれていく何か、ものすごく大切な何かがあるようなのである。

他者から他者へ、その結び目に傷とひび。それから泥と水と闇と花。そのどれもが重要。私
はなにより花が好き。