沖縄本島に隣接する与論島の祖神様は本土の村祭とは様相を異にしている。島でシュニグ祭と称されているのだが、この祭神について明治十六年生れの郷土史家増尾国恵氏がのべられる左に点はまことに興味深い。神格に対する農耕者の主体がまだ生き生きと残っていて民衆の祭を感じさせる。
十五夜踊シュヌグ祭は豊年祭で人畜の繁祥五穀の豊熟果実の豊熟等を祈り、疫病旱魃暴風水害等の災厄を除去する祈りである。茲に雑言を吐くよりは一口に云えば天は雲がなければ雨は降らない。竜神は雲を呼び寄せて雨を降らす。雨が降っても人間が無ければ役に立たない。人間があっても耕す土地が無ければ五穀は作れない。土地があっても雨が降らなければ五穀は作れない。五穀を作っても護る神がなければ収穫は得られない。人間があって始めて五穀を作り此れを以て神を崇め祭るからして、神も神としての神格が尊ばれる。自然の理に因ってそれを細密に分類分担して、わが与論島ではすべての神行事を行なうものなることを考慮に入れて貰いたいのである
神と人との共同作業の故に神が神格を得、人が人格を持つという発想は、神格に依拠して作業の成果を得るという神と人との従属関係とは異なっているし、ましてや豊穣祈願の呪詞的要素を支配者への服属へ重層させた政治的祭礼とは異相のものである。
(中略)
与論島のそれは少なくとも農耕の主体がどこにあるのかを、まだ見失わせられてはいないし、主祭者はあくまでも農耕者にある。
同じように沖縄――ことに沖縄における僻地にはこの感覚は健在である。即ち民衆の祭礼から、農耕儀礼の儀礼的主体を政治的支配者へ移行させ、あたかも農夫集団のシンボルのように天皇を農耕に結びつけた感性からは切れている。筑豊にいて私は、復帰によって本土が沖縄のこの伝統的手ざわりを崩壊させることをおそれている。それは沖縄民衆のための、おそれではなくて、私自身のための、おそれである。
森崎和江曰く―――
たとえば、沖縄のたたかいを支援する政治的自己表現はできる。入管法粉砕にかかわる政治的行動も可能。しかし、社会的関係を具体的につくり出すことは在日朝鮮人との間でもきわめて困難で、互いに無縁な閉鎖集団のように生きる現実を思う。
労働者は、いいように使い捨てられる底辺労働者も含めて、なぜに、近代社会、資本主義社会に飲まれて分断されていくのか?
なぜに結び合えないのか? どうしたらそれは可能になるのか?
森崎和江が70年代に発した問いは、いまなおこの世界の根本的な問いとして残されている。
「民衆は、労働を基本軸にして自己の社会を形成する。その社会をうばわれれば、追い込まれた次の労働と重層させて幻想の社会空間を描こうとする。さもない限り、収奪されっぱなしの日々に耐え得るものではないし、相互性を労働者間に生み出すこともできない。その基盤となる労働の具体的現実的手ざわりが生命である。」
(人々が分断され、底辺にまで上から政治的に意図された異民族ヘイトが浸透し、ブルシットジョブに人生が食われるこの時代に、手ざわりを取り戻すことの困難……)
朝鮮、沖縄、そして眼差しはパレスチナのほうへと、あらゆる非対称の関係性のなかで苦しむ人々のほうへと、伸びざるを得ないこの時代に、人は、命は、ますます知里尻バラバラに、使い捨てのモノに成り下がっている今の時代に問うべき「接触の思想」「出逢いの思想」。