福島巡礼  ソーラーパネルとセイタカアワダチソウ。点の復興。 とりあえずの走り書き。

福島巡礼は、楢葉の伝言館(宝鏡寺内)から始まった。

 

 

2024年10月18日。雨が降っている。

 

伝言館を寺の境内に作った宝鏡寺のご住職の遺志を継いだ丹治さんが、

遠来の訪問者に福島の伝言を怒涛のように語る。

 

「エネルギー アレルギー」

このポスターは震災前のものであるが、原発ムラの姿勢はこのときとさして変わらない。

楢葉町 伝言館(宝鏡寺) 震災前 原発推進ポスター

 

さすがに、この標語はもう使いようがないですけどね、

原発建設」「原子力開発」の文字を「復興」に置き換えれば、まだまだイケるかな。

この「復興」の内実を、激しく雨が降る中、車で丹治さんに案内していただいて、観ることになった。

伝言館 震災前 浜通りの町々に張られた標語

 

復興は「点」。線にも面にもなっていない。

駅は立派に建て直されたが、かつては店が並んでいた駅周辺は更地が目立つ。

線路はつないだが、町は帰還困難区域、昼間だけ通行可能地域、居住地域とまだらに分断されている。

たとえば、大開発中の大野駅から伸びてゆく道路の片側は「帰還困難区域」、道を挟んで反対側は「夜間立入禁止区域(つまり住めない)」。補償金額は月額で2万円の差が出る。

水俣市民をずたずたに分断した「補償金」を想い起こす。

「おとなのいのち十万円/こどものいのち三万円/死者のいのちは三十万円」

こうして平然と命に値段をつける者たちは、お金で人間は簡単に分断されることを知っている。命をお金に換算する精神。物に値段をつけるように、命にも、人の暮らしにも、値段をつける基準を持つ世界。

値段をつけられる人々は、その値段に応じて、分断されていく。

 

 

「点」「点」と整備されていく、その「点」は外に向けての復興のアピールであって、

そこに暮らすことを願う人々にとっての、暮らしの「復興」ではないということは、「点」をたどれば、よく見えてくる。

このポスターも、いったい誰に向けたものなのか?

駅ポスター

 

 

夜ノ森駅構内

 

いま大規模開発しているのは、大野駅前。

しかし、大野駅の周辺をゆけば、すぐに帰宅困難区域になるのだ。

 

 

大野駅開発工事中



大野駅開発工事中その2

 

大野駅周辺

車で、夜ノ森→大野→双葉へとゆく。

 

 

かつて双葉高校は甲子園に出場して、広島商業に負けたんだそうだ。

広島商、双葉を投打で圧倒【1973年8月11日 第55回全国高校野球選手権1回戦 広島商-双葉> ← 当時の新聞の見出し。

原爆を落とされた広島商業がこんなに強いのだ、放射能の影響なんてないのだ、だから双葉も原発と共に発展することを目指すのだ、という趣旨の発言が当時あったという。

その双葉高校も今は廃墟。

 

校庭がジャングル化している双葉高校

 

 

2024年10月20日。小高の「おれたちに伝承館」を訪ねた。

<3.11&福島原発事故伝承ミュージアム>とある。

 

おれ伝 パンフより

おれ伝 パンフより

「沈黙から伝承へ、反駁から共感へ 分断から協働へ」

これは、おれ伝からのメッセージ。

非当事者が伝承というつなぎ目の役割を果たすにはどうしたらよいか?

それは、芸術表現しかないだろう!

気仙沼の「被災物」展示と本質的な部分で相通じ合う展示が、ここにはある。

表現の芯にある「感情」を介して、そこで起きた出来事を感受できるようにする方法論。

 

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@おれ伝

 

人間が作り出す最高温度の火の産物の珠洲焼の花瓶と、人間が扱えない火(原発)の風景

立入禁止区域に繋がれたまま置いて行かれて、柵の木をかじって死んでいった牛は、   この和紙の牛のようだったという。

 

人が消えれば、野生の世界が次第に広がってゆく。

駅は立派でも、そこをオリンピックの聖火ランナーが走っても、駅の周囲はまだ人が住めるような「復興」などなされてないのだから。だから、テレビは、立派な駅舎前を走る姿しか映さなかったのだから。

双葉駅前のキツネ  写真:中筋純

 

おれ伝で、かつての浪江と大熊の商店街の風景を写真で見た翌日、

浪江町商店街のあった通りに出かけた。

 

これが現在の浪江町 商店街跡。

現在の浪江 商店街跡

 

こちらが、かつての写真。歩道に広げてみた。

 

更地にはセイタカアワダチソウなのだ。

浜通りの風景は、更地になった土地に、セイタカアワダチソウソーラーパネルなのだ。そして、東京電力東北電力が設置したソーラーパネルの電気は、原発同様、首都圏に送られるのである。原発がそうであったように、いまここで進行中の「復興」は、どう考えても、送電線の先にある都市のための、その都市に拠点を置く「資本」と「権力」のための「復興」のようなのである。

人口が激減した浜通りの町々に、人々が日常生活を送るに十分なインフラを作るという、そのような形での「復興」は進められていない。

外向けの展示のような復興、原発に代わる「夢のエネルギー」開発、容易に軍事転用される(そもそもそれが狙いなのではないかとも思われる)ドローンやらロボットやらの研究開発なら、ある。かつての豊かな暮らしを支えていた「土」の復興は置いてけぼりにされているように見える。かつて飛行場だった土地を買って、土地ころがしをして、原発を作ったような連中と同じような発想の人間たちが、浜通りに跋扈しているようにも映る。そんな風景ばかりが目に入る。

浪江 商店街 被災店舗解体撤去の跡

 

浪江 福島水素エネルギー研究フィールドを見下ろす丘。

福島水素エネルギー研究フィールドを見下ろす丘

 

 

浪江 ソーラーパネルだらけ風景 丘の上から

 

ソーラーパネルばかりだよ。

浪江 福島水素エネルギー研究フィールド

 

「持続可能な未来への近道はない」

言葉ばかりはご立派。近道ばかりしているくせに。

 

 

そして、ロボットテストフィールド

浪江 福島ロボットテストフィールド

この広大な土地でドローンを飛ばしてたり、ロボットを動かしたり、いろいろ試してみるんだそうです。

テストフィールド

イノベーションコースト構想は、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクト、なんだそうです。誰のための、何のための、新たな産業基盤なんでしょうね。

イノベーションコースト地図

浪江から、仙台方面へと、海沿いの道、名づけて「イノベーションコーストロード」の車窓風景をただただ撮影した映像。

更地、ソーラーパネル、火力発電、風力発電、水素エネルギー、ドローン、ロボット。

風土の復興は? 土の復興は? 

無惨な夢の跡に、人間不在の「明るい未来」を謳いあげる夢をふたたび描いて、人々をチリヂリバラバラに分断して、点点点とイノベーションはつづくよ、どこまでも、きっと、とりかえしがつかないことになるまで、つづくんでしょうね。

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