いま、「問いを立ち上げる」ということを考えている。 それは概念を創りだすことなのだと、気づかされる。ドゥルーズを解読する國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』を手掛かりに。

 

以下、読書メモ。

 

「哲学者は問いを批判することによって問いを発見し、概念を創造する。」

(『ドゥルーズの哲学原理』第Ⅰ章より。)

 

「精神はどのようにして一つの主体へと生成するのか?」

これがドゥルーズが経験論哲学のヒュームから見いだした、発生への問い。

そして、超越論哲学のカントが問うことのなかった問いである。

 

 

 以下、第Ⅱ章超越論的経験論より

或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない。 byドゥルー

 

「他者というものを想定すればこそ、見えない『余白』の部分を他者には見える部分として処理し、それが恒常的に存在していると考えることができえる」

 

「我々は世界のほんの一部しか目にしていない。にもかかわらず世界が存在していると思っているのはなぜかといえば、他者のもたらす時間的・空間的な効果の中に身を置いているからである」

 

「他者とは、それなしでは知覚が機能しえなくなる「知覚領域の構造」である。」

「他者は知覚領域における対象ではない。」

「他者を欠いたところでは、そもそも自我というものを想定することができない」

 

 超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないというところにある。byドゥルーズ

 

★徹底的に「発生」を問うものとしての、ドゥルーズの哲学。

 

第三章 「思考することは、生の新たな可能性を発見し、発明することを意味するだろう」by ドゥルーズ

 

では、ものを考えるという事態は、いかにして発生するのか?

人はものを考えようと思って考えることはできず、何かに強制されて初めてものを考える。

 

「真の自由は、問いそのものを決定し、構成する能力にある」 byドゥルーズ

 

「思考は、それを強制する「しるし(シーニュ)」との「出会い」によって初めて発動する。ただし、シーニュを受け取るためには。それを読み解く訓練、「習得」が欠かせない」

 

ドゥルーズは、「人間の中に思考への積極的意志など認めない」かつ、「積極的意志の不在を認めた上で習得の重要性を強調する」