「生む・生まれる話」(『ふるさと幻想』所収) メモ

これは松本健一への公開書簡。

こんな手紙を送られた松本健一は鳥肌が立つほど震えただろうなぁ、と思う。

 

いきなりこんな言葉が書きつけられる。

私は、もの書きになってしまいましたが、書きことばによる表現ぬきに生きることができなかったからで、もの書きになりたかったからではありません。書かなくとも生きられそうな気がしたら、そのとき私は書くことをよします。

 

そして、子を孕み、産んだときに森崎さんを襲った自身と言葉の亀裂、そこからはじまった思想的苦闘について、森崎さんは語り出す。

 

妊娠出産をとおして思想的辺境を生きました。何よりもまず、一人称の不完全さと独善に苦しみました。(中略) ことばという文明の機能に重大な何かが欠け落ちている。それをどうにかしないと、私は生きられない、と、そう思いました。

 

近代的「個」として生きてきた「私」が、子という「他者」を孕む。

身の内に他者を孕んだ自分を、「私」という一人称で表すことができるのか?

それは不意に、観念としてではなく、体のうちから、言葉の「欠如」として、その恐るべき実感として、森崎さんを襲う。

 

いのちは、自他の境が揺らぐところからはじまる、という事実。

 

いのちのはじまりを、身の内に他者を孕んだ存在の一人称を、表現する言葉も思想もないという事実。

 

そこから、森崎さんの思想的苦闘が始まったわけであるが、

そうして繰り出されてゆく森崎さんの言葉は、なかなかに強烈。

女の立場からものをいうのではなく、未来へ向かっての無限の可能性とでもいいたくなるほどの、精子卵子のこえでお手紙をさしあげたいほどです。いえ、それさえ、工場生産の原理に包括しえるならば、あてもなく流れやまぬエロスのこえで語りたくなります。そこからことばを生み、社会を生み、たたかいを編みたいと、くりかえしくりかえし思います。

 

次々攻めてくる。

 

右翼は「死」について考えることで、その思想をみがきました。イザナギイザナミのころから、それは正統的思考だと私は思っています。「死」を思想の原点とすることで、心とからだと村と社会と世界をつなぎ、体系化するのは、これは私たちのくにのなりたちにつながっていると思います。ですから、はらみ女には一人称が欠けているのは当然で、うつくしい文化です。

(中略)

「生むこと・生まれること」を思想的原点とするのは、存在の自己矛盾みたいな、奇妙な、まとまりきれぬもどかしさを起こさせます。神話でさえ、それは辺境での現象としてあつかわれているのです。子を産み終えた神々は、海の彼方や、よそのくにへと帰りました。

 しかししかしといわざるをえません。死がふくむ闇よりも誕生以前の闇のほうが人にとっては暗い。生を断つエネルギーよりも闇から人と成る力のほうが革命的です。人類はまだその原初の部分を思想の対象とすることはできていません。死は思想となるが、その対極は無である痛恨を現実のものにしないと、洋の東西を問わず、体制のいずれを問わず、人間なんて物質を生産するために生きているだけのものとなってしまう。たとえば水俣病について私がむきあっている一点は、ただもう、その細い糸ばかりです。人は、「生む・生まれること」を思想としえるのかしら、ということ。「生」というものではありません。そのはじまりです。はじめにことばなし、という実態を、どうするのか、ということ。

 

「人は、「生む・生まれること」を思想としえるのかしら、ということ。「生」というものではありません。そのはじまりです。はじめにことばなし、という実態を、どうするのか、ということ。」

 

いきなりこんな問いを投げつけられた松本健一は、大いにたじろいだに違いない、と私は思う。

 

そして、みずからの生とともにあることばを原郷として、生きるべき世界を生みだそうとしてきた森崎さんの苦しくも厳しい人生行路に、心を震わせながら思いを馳せる。

 

手紙の結びの言葉もすごい。

 

どうか、あなたも弱々しい部分をお大切になさってください。それが大切なことですと、べそかきながらお返事したため終ります。女という奴は、有史以来まだ勝者の味をしらないのだと思います。ですから、ほんとうをいうと、日清も日露も、六十年安保も七十年安保も、まためまぐるしくも青くさい挫折感なんぞも、くそくらえという思いは根深いのです。そんちびちびしたことでよろこんだり悲しんだりできないほどの辺境が、心身にしずんでいます。

 そして思います。もし、男が、「死」の体系をはなれて人間の歴史をのぞいてくれたなら、あるいは私とどこか似たような辺境が体内にしみでてくれはしないか、と。

 

国家の歴史なんて、「生」の思想をもたないこと、「生のはじまり」の思想を紡ぎ出す苦闘にくらべたらちびちびしたこと。(本当にそうだわ、森崎さん)

男が、そんな辺境の思想を孕むことができるかな、できるといいですね。

(と、森崎さんに深く共感しつつ、私も今ようやく「生のはじまり」の思想に思いをめぐらしはじめたばかり。これは大変なこと、本当に大変なこと)。