1948年~1949年、ある朝鮮人の若者が、ソウルより日本へと、在日朝鮮人の友に宛てた手紙の中の言葉。

たくさん学べ。君はいま祖国の現実をどう見ているのか分からぬが、いま祖国は学徒を呼んでいる。われらは水を飲みたい。喉が渇いている。だが、われらの喉を潤してくれる者はひとりもいない。力を尽くして学べ。僕は、ただ、学ぶことのできない、学べない環境にあることが、これだけが悲しい。胸がずきずきと痛む。

 

 

今度の手紙にはイデオロギーについては一切書くな。涙ぐみながらこの手紙を書いている。こんなことまで……。

 

君が待っているから、待っていると言うから、僕はいつも力いっぱい君を信じる。信じることは幸福だからだ。

 

(彼は日本への密航を企てている、しかし、やがて祖国朝鮮にとどまって米国を後ろ盾にした正統性なき李承晩政権と闘うために密航計画を放棄する)

 

 

祖国が呼んでいる。君のような若い力を。それだけは忘れるな。

 

いつ来るのか? 一度戻ってこないのか。愛する者の腕のなかへ。故国は待っている。数限りなく、君のような情熱の青年を……。

 また書こう。では。

 

 

だが、ヤングンよ! 夢から覚めよ。祖国は僕のような者も、ひとり残らず呼んでいる。なのに、いま、どうして日本に行けるだろうか。これ以上は書くまい。推して知るべし。  昨年とは、一年前とは大きく変わったのだ。

 

祖国のことを考えてくれ。犬や猫の手を借りてでも建設をする時だ。いま、僕が、数多くの同志を置いて、どうしてひとりで行くことができようか。それは全民族に対する罪だ。昨年とは違うのだ。大韓民国……。 わが国を建設するのは、わが大韓の青年のほかはない。ともかく、行きたい心を抑制して、君にこのような手紙を書いている、いや書かずにおれぬ僕の心情と祖国を思ってくれ。