久しぶりに シンボルスカを読む

「なんという幸せ」  沼野充義・訳

 

なんという幸せ

自分がどんな世界に生きているか

はっきり知らないでいられるのは

 

人はとても長く

生きなければならないだろう

世界そのものよりも

断固としてずっと長く

 

せめて比較のためにでも

他の世界を知らなくては

 

人をしばり、厄介なことを

生み出す以外には

何も上手にはできない

肉体の上に飛びあがる必要がある

 

調査のために

図柄の明快さのために

時間の上に舞いあがること

この世のすべてを疾駆させ、渦巻かせる時間の上空に

この見晴らしから

些細なものたちに、ちょっとした挿話たちに

永久の別れを言おう

 

ここからならば、一週間の日数を数えるなんて

無意味な行為に

見えるにちがいない

 

手紙を郵便ポストに入れるのは

愚かな青春のいたずらに見えるし

 

「芝生を踏むべからず」の注意書きは

狂った注意書きのように見えるはず

 

 

シンボルスカは1923年に生まれた。今年は生誕100年なのだな。シンボルスカは百年芸能祭の詩人と、勝手に決めよう。

 

 

 

「可能性」  工藤幸雄・訳


映画のほうが好き
猫のほうが好き
ヴァルタ*河畔の柏(オーク)のほうが好き
ディケンズがドストイェフスキイより好き
自分なら人好きでいたい
人類愛に燃えるよりは。
用心に針と糸を持ち歩くほうが好き
色は緑のほうが好き
言い切らないほうが好き
理性は万事に責任があるなどと。
例外のほうが好き
外出は早めのほうが好き
医者との話はそっぽな話題のほうが好き
古風な装画(イラスト)の線画のほうが好き
詩を書くことの滑稽を
詩を書かないことの滑稽よりも好む
恋愛で好きなのは何周年と割り切れない記念日
毎日するお祝い
モラリストなら
どんな約束もしない人がよく
好意なら抜け目なしが隙だらけよりも好む
大地は普段着の姿が好き
亡国のほうが滅ぼそうとする国より好き
留保するほうを好み
カオスの煉獄のほうが秩序ある煉獄よりも好きだし
グリムのお伽噺を新聞の第一面より好む
花のない木(こ)の葉を木の葉のない花よりも愛で
犬は尾のあるのが尾を切られたのより好き
目は明るいほうの色が好き(わたしのは暗い色なので)
抽き出しのほうが好き
いろんなものが好きで、ここに挙げなかったものでも
やはり挙げないたくさんのものよりもっと好き
ばらばらにあるゼロのほうが
数字のあとに並ぶゼロより好き
虫の時間のほうを星の時間よりも好み
「オドプカチする*」ほうが好き
訊ねないほうが好き、この先まだどのくらい、いつなどと。
生きることにはそれなりの理由があると
その可能性なりと気に留めるほうが好き

(工藤幸雄・訳)『橋の上の人たち』(書肆山田、1997年)より

 

【訳注】
*ヴァルタ: Warta オドラ川に注ぐ最大の支流。
*オドプカチ: 自慢やめでたいことを口に出した際、逆効果で不幸が至ることを恐れ、それを防ぐ目的で生木(塗らない板など)をとんとんと叩くおまじない。

 

「星の時間よりも、虫の時間」というシンボルスカに、石牟礼道子の「花を奉る」をふっと想い起こす。

 

 

「花を奉る」

生死のあわいにあればなつかしく候

みなみなまぼろしのえにしなり

おん身の勤行に殉ずるにあらず ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば

道行のえにしはまぼろしふかくして一期の闇のなかなりし

ひともわれもいのちの臨終 かくばかりかなしきゆえに けむり立つ雪炎の海をゆくごとくなれど

われよりふかく死なんとする鳥の眸に遭えるなり

はたまたその海の割るるときあらわれて 地に這う虫に逢えるなり

この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして われもまたにんげんのいちいんなりしや

かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにてわれもおん身も ひとりのきわみの世をあいはてるべく なつかしきかな

かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにてわれもおん身も ひとりのきわみの世をあいはてるべく なつかしきかな

いまひとたびにんげんに生まるるべしや 生類のみやこはいずくなりや

わが祖は草の親 四季の風を司り 魚の祭を祀りたまえども 生類の邑はすでになし

ゆめゆめかりそめならず今生の刻をゆくにわが眸ふかき雪なりしかな

 

 

今年2023年は、水俣の漁民が初めて日本窒素に対する抗議行動を起こして100年になる。