『反=近代文学史』(中条省平 文芸春秋)を読む。
漱石の『こころ』を内面の特権化を極限にまで突き詰めた作品とし、ここに現われ出た内面の特権化の傾向が日本の近代文学をある部分でやせ細らせたのではないかという疑問を出発点に、中条省平は、『こころ』とは対極の、人間的意識や自我のドラマとは異なる場所に自分の文学世界を作り上げた作家たちの系譜を追う。たとえば、泉鏡花、谷崎潤一郎、稲垣足穂、江戸川乱歩といった作家たち。
けっして内面化しえぬ世界の多義性と断絶とをまるごとすくいあげようとする不可能な試みに挑み続けた作家として語られる泉鏡花の章はかなり面白かった。
今まできちんと読んでいなかった足穂を読んでみようかという気になった。
おりおり、開高健の『人とこの世界』をパラパラと読む。
誰を方舟に残すか? これは開高健と武田泰淳が座談で語り合ったこと。「大洪水で流しても流しても、あとには悪い種子がのこって芽をふき、ハビコリ、ウジャウジャと、もうそれは……」。
そろそろ、方舟に乗ってでも、洪水に流されてでも、木っ端微塵にされてでも、どこかに行きたいと思うのである。
金子光晴の詩『ニッパ椰子』に曰く、
「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学
一昨日、石垣島の水牛老師と久しぶりに電話で話した。本日より、「水牛老師かく語れり(仮題)」の仕事に取り掛かる。