なりゆき大菩薩

土曜日に大菩薩まで行ってきた。新宿からバスで大菩薩峠への登り口の上日川峠へ。登り始めは、雨。ポンチョをすっぽりかぶれば、暑い。傾斜が強くなってくると、きつい。暑くてきつくて下を向いて歩く。晴れていれば見えるはずの富士も周囲の山々もガスの中。登山道沿いに茂る熊笹。樅の木、栂の木、楢の木。樅や栂は葬儀材と言うんだ、棺おけ作るのに使うんだ、特に土葬の時には早く腐れて土になる木がよかったんだと、これはあとで大菩薩峠にたどりついてから聞いた話。
なんだって登るんだよ?と自問自答。達成感なんていうまやかしは、私は信じないねと、いつもどおり私の中の偏屈の虫。そこに山があったって、私は登らないね。なぜいま登っているのかと言えば、成り行き以外のなにものでもない。成り行き。最近は、成り行きで、動いて、生きてみようかとも思う。別のことばで言うなら、動じない生き方。
大菩薩峠という木の標識のすぐそばに首のない仏像。どうして首がない? 峠の山荘のおじさんに聞いてみれば、「机龍之介が一刀のもとにばっさりと! てなわけはあるまいよ」。峠に風が吹けば、ガスが白く揺らめいた。