山尾三省『野の道』と宮沢賢治をめぐる会のあとに。

5月12日 野生会議99 つながるゼミナール

「山伏の目で読んで語る宮沢賢治」@西荻窪・忘日舎のゲストに来てくださった編集者アサノタカオさんとのfacebook上でのやりとりが、とても大切なことに思われて、このブログの方にそれを記録しておく。

 

<アサノさんの投稿>

週末の夜、東京・西荻窪の書店である忘日舎で姜信子さん、渡部八太夫さんと山尾三省宮沢賢治について語る機会をいただいた。野性会議99の「つながるゼミナール——山伏の目で読んで語る宮沢賢治」にて。なかなか言葉では表現し難いスリリングな時間にたちあうことができて、いまなお興奮は冷めやらない。

屋久島に暮らした詩人・山尾三省宮沢賢治について論じたエッセイ集『野の道』の冒頭に、印象的な一節がある。「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思う」

またあるところで、三省はこんな詩も書いている。

 

ひとりの男が
まことの歌を胸に探り
この世の究極の山へ登りに入った

それがまことの歌なのか
まことらしき歌なのか
明確でないところに この登山の困難があった
——「歌のまこと」

 

山尾三省によれば「野の道」とは、単なる自然回帰の道ではない。それは「矛盾の道」のことだ。憧れと淋しさのあいだ、まことの歌とまことらしき歌で揺れ動くおのれの「ゆらぎの道」のことだ。三省は生涯、農民と詩人のはざまで引き裂かれた宮沢賢治が「修羅」と呼んだ、自我という苦しみゆえに生まれる必然の矛盾を正視し続けた詩人だった。

「わかりやすさ」が、我が物顔でのさばる時代。個人も社会もこの「矛盾の道」に踏みとどまり、わからないことを考え続ける気力も体力も失いつつある。そして右にならえのその右に、くたびれた感情が数珠つなぎに繋がれて押し流されていく。私たちは私たちの「矛盾の道」である「野の道」を探さなければならない。そこで、心という内なる自然に分け入る「芸能」の出番だ。

 

渡部八太夫さんの語りと三味線による実演、賢治童話「マグノリアの木」の山伏祭文が圧倒的だった(「マグノリアの木」は青空文庫で読むことができます)。歌曲が勢いに乗れば乗るほど、私の心に映ずるイメージの流れはゆっくり、ゆっくりとスローモーションになってゆく。そして物語の景色の光や色、汗や霧のふるえる粒まではっきり見えてきて驚いた。

 

「諒安は自分のからだから少しの汗あせの匂においが細い糸のようになって霧の中へ騰のぼって行くのを思いました。その汗という考から一疋ぴきの立派りっぱな黒い馬がひらっと躍おどり出して霧の中へ消きえて行きました。霧が俄にわかにゆれました。」

 

何度もなんども読んだはずの「マグノリアの木」。しかし文字を追うだけでは読み飛ばしていた物語の細部が尋常ではない生生しさで迫ってくる。

歌だったんだな、と思った。賢治の心象風景には音が鳴り響いていて、歌うことで文字の奥から音を解放しなければこのリアリティを深々と体験することはできない。歌曲に耳をすませながら、私は陶然と、目の前で金色の琥珀の分子が漂うのをじっと眺めていた。

 

さて、「マグノリアの木」の山伏祭文にすっかりのぼせあがって、イベントの最後に、編集を担当した山尾三省のエッセイ集の新版『野の道』のことや新刊の詩文集『五月の風』のことを宣伝するのを完全に忘れていた。きっと三省の魂と共に、三省が敬愛した謙虚で心優しい「貧乏神」もあの場に降臨したのだろう。そう思うことにする。

 

youtu.be

 

<姜信子のコメント>

浅野さん、12日はありがとうございました。
山尾三省の「矛盾の道」、「ゆらぎの道」である『野の道」に触れることは、いま同じく一匹の修羅となって、誰かの意志で動かされてゆく「この世」という囲いの外に踏み出したい私には、よき始まりの声なのでした。

一方で、日曜の会でもちらりと話しましたが、70年代的なコミューンだとか、法華経阿弥陀経大日経やヴァガバッドギーダやラーマ・クリシュナやさまざまな宗教的な回路を経由してしか、その「野の道」にはたどりつけないのか、という懐疑も私にはあるのです。

宗教それ自体は野生を見失った者たちにとっての、「方便」に過ぎないのではないか、
なのに、「方便」と「目的」が揺らいですり替わる瞬間があるのではないか、と。

宗教と思想を截然と分けることは難しいのだろうと思いつつも、
目に見える形としての共同体ではなく、わかりやすい信仰のようなものとしての宗教ではなく、
野をゆく、野に在るという精神性でつながってゆく「共同性」という意味でのコミュニズムを私は思い、
また、宗教性とはもちろん無縁ではありえないものの、野に生きることの証のようなものとしての芸能を、野に生きることの核心に置こうと近頃は思っています。

そして、その芸能の核には、声がある。
無数の声の場を立ち上げてゆくことこそが、アニミズムでありアナキズムなのだと考えているわけです。

というようなことを思い描きつつ、山尾三省を読み、賢治を読む私がおります。(笑)

 

 追伸:『野の道』とあわせて、『無謀なる者たちの共同体』(李珍景 インパクト出版会)を読むと、非常に鼓舞されます。

 

<アサノさんの応答>

「声」の探求者としての姜さんのお話を反芻しながら、考え続けています。

宗教であれ政治であれ、力に束ねられる共同体ではなく、一匹野良猫的な単独性の連帯による共同性を目指したいところです。70年代・80年代の三省たちの言論は「野の道」をあまりにもまっすぐなものとして想像し過ぎたところがある。世界や神々や明るいものに正しく繋がる道として。そうしなければならなかった時代や個人の必然もあったと思うのですが、実はそこには多くの曲がり角があり、その先に続く薄暗い曲がり道があったのではないか。であれば、のちに続く僕は三省の背中を理想のものとしてただ追いかけるのではなく、ありえたかもしれない「野の曲がり道」の方へ逸れて自分なりにさまよってみたい。

たとえば移民や越境者、あるいは事によると近代から引きこもる難民や亡命者として、三省のことばを読み解くこともできるのではないか。旅を生きるさびしさから浮上する三省的な越境のヴィジョンは、人間どもの口当たりの良いお題目としての多文化主義を、死者や自然を含めた有象無象が呼びかわす多モノ主義に鍛え直す鍵になるような気がするのです。しかも、大げさな宗教や文学によらない、世俗的な日々の暮らしの真っ只中にあって。

ここが僕のはじまりになりそうです。三省、賢治、済州島の海女たちの声。曲がり角を曲がりに曲がって、いったいどこへ連れて行かれるのか…。

 

<姜信子の応答>

「野の曲がり道」。とても大事なことのように思います。

たとえば、三省の詩を読む。ここは立ち止まらねばいけないところなのに、その先に手探りの闇があるはずなのに、何かを振り切るようにして、むしろより一層の力を込めてまっすぐに足を前に踏み出す瞬間がある。

たとえば「風」。その最後の三行。それがその瞬間のように私には感じられるのです。

そういう瞬間を感じることは、とても切ない。

ふっと気を抜くと、自分もまた、ある瞬間に、ぐっとまっすぐに足を踏み出してしまうような気もします。

どれだけこらえて立ち止まれるか、逸れて曲がってゆけるか、

先行者に抱いた違和感は、先行者からの大切な学びでもあります。

その出発点を共有しつつ、私も曲がって曲がって、さて、どこに行きつくことやら……

 

 

※ そういえば、三省と宮沢賢治をめぐる会では、二人を結ぶ「山伏/修験/野の道をゆく者」という切り口で、三省の詩 二編を読んだのでした。

 

「神の石」

 

たとえば 大きな丸石ひとつ 谷川でよく洗い 

よいしょ とかかえあげ 

家の中に 運びこむ

  

布でよく拭き 

家の中の しかるべき場所に 

それを置き飾る 

 

するとそこから

 一千四百万年の 石の時間が流れはじめ

 地質学 という喜び

  

自然 という喜びが

 水のように湧き出してきて

 その石が まぎれない 神の石となる

 

  

「場所」

 

街中の とある道筋に

 自分の喫茶店を 見つけておくように

  

 海辺の とある岩の上に

 自分の場所を 見つける

  

 森の中の とある木陰に

 自分の 場所を見つける

 

またこの世の 千差万別の仕事場の中で

自分の仕事という 場所を持つ

 

自分である場所 

場 を持つ人は 神を持つ人である