他人の言葉

こどもの頃からよく見る夢。寝ている部屋がそのまま夢に出てきて、自分が寝ているのか目覚めているのか、よくわからなくなる、夢うつつ。ともかくも、その夢の中の自分の部屋にいると、いろんな人が訪ねてくる。訪ねてくる人は、夢ごとに違う。ただ、どうも、生身の人ではない。いつもは来訪者はたいていひとりなのだけど、一昨日はやたらと多かった。ざわざわと、バタバタと。明方まで騒がしかった。


しかし、小野十三郎の詩というのは、とりつくしまがない。確信犯のつれなさ。

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『禾本莎草』(「風景詩抄」より)
煤ぼけてさびしい草だ。
あそこに生えてゐるやつはみなさうだよ。
あの葦どもは悪意に充ちている。
あいつらは君が嫌ひなんだ。虫が好かんのだ。
来てほしくないんだ。
あいつらだけで
吹き荒れてゐたいんだ。

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一年前に出席した野間宏の会主催のシンポジウム「文学よ、どこへ行く?」のゲラが届く。(発言者は奥泉光さん、佐伯一麦さん、塚原史さん、そして私)。そんなこともあったような、そんなことも言ったような、遠い記憶。一年も経つと、自分の言葉も、他人の言葉のよう。