まず、一人の語り手がいる、この語り手が「場」を仕切っている。
「語り手」は、いつも押入れの中にいた「彼」と、「彼」が亡くなるまでの、「彼」の家族の来し方を、最初に語る。プロローグ。
「彼」は事故で障害を負い、亡くなるまでずっと、ほぼことばを失っている。
「語り手」は聞き手に問題提起をする。
実を言えば彼のことばは、彼が障害を得る前から、誰にも聞かれてはいなかった。(戦中戦後を生きた彼の話などは)当時はそんな話がありふれていて、誰も語りたくも聞きたくもなかった。だから、むしろ、彼は障害を得てから語っていたのかもしれない。優しい彼がそれを語るほど奔放になるには、ことばがことばでない世界が必要だったのではないか。
「語り手」は、そのことに気づいた者として、「彼」の孫娘を聞き手に紹介する。
孫娘は、東京の家を遠く離れた仙台で出会った「彼」と同世代の老人が、戦時の記憶を語るのを聴いたときに「彼」を思ったのだと。孫娘は、「彼」と同世代の老人の語りを経由することで「彼」の語られなかった記憶にたどりつく。
※「語り手」は、ここで、ひとりの人間の「記憶/物語」を受け取るために必要な「距離/時間/迂回」を示唆しているようだ。
第二の「語り手」として、「語り手」は孫娘を呼び出す。
孫娘は仙台の老人が戦時の記憶の中で口にした「ぼたもち」という言葉をつなぎ目に、老人の記憶と自身の記憶の網目のなかにある「ぼたもち」の物語の記憶を接続してゆく。
ある人から伝え聞いた、また別の老人の、ガダルカナルで夢の中でぼたもちを食べて生きのびた話。ぼたもちとは実は人肉だったのではないか、語るに語れぬ記憶だったのではないか、ありのまま記憶することが困難であった記憶なのではなかったのか、という疑惑/わからなさ。
シベリア抑留を経験した老人が苦しい日々の中で、なによりも欲した「ぼたもち」にまつわる「わからなさ」
その圧倒的なわからなさに、彼らとわたしの間にある越えがたい壁のようなものを認識したのです。
わたしが彼の語りをそのまま話すのは到底無理です。このわからなさは、わたしが祖父母に抱いていた怖れや、ガダルカナルから帰ってきたおじいさんがなぜ夢のような話を語ったのかということに、どこかでつながっているように思います。
他者によって語られる記憶の「わからなさ」。
これは、「孫娘/第二の語り手」からの、第二の問題提起。
そして、他者の語りを、ひとりの「聞き手」として、「わからなさ」を怖れとともに受け止めた時、孫娘はひとりの「語り手」となる。
孫娘は、老人のシベリア抑留の語りの中にある不自然な記憶の欠落から、記憶にまつわるある重要なことに気づかされる。
そのときわたしはふと思い立って、うちの祖父は南方の島に行った人だったけど、家族は何も知らないんです、と言いました。すると老人は足を止め、語らない人は後ろめたいことをしてきた人だ、と哀れむように答えました。
さらに、「孫娘/語り手」のもうひとつの気づき(あるいは予感)
彼らを語らせなかったのはわたしなのではないかと、ときどき思います。でも、もし、この道筋(孫娘が仙台の老人とともにその思い出を聞きながら歩いた道、そして、老人の死後、ひとり歩いて八十年前の風景に思いをはせて歩いた道)を歩くと少年時代の老人の姿が浮かんでくるように、どこかの風景が彼らのことを覚えてくれているとすれば、せめてそこには何かがあるかもしれません。
※ 第二の語り手(孫娘)は、「聞き手」たりえなかったがゆえに、老人たちの「語り」を封じたのであろうみずからの罪を想う。
※ 第二の語り手(孫娘)は、人が風景を記憶するのではなく、風景が人々を記憶しているのではないかと、ふと思う。
孫娘は、「聞く」旅に出ようと思う。出発点は「彼」の暮らした洞窟のような押入れ。
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「語り手」は第三の語り手を呼び出す。
「彼」の息子の妻であり、「孫娘」の母である、「語り手」だ。
最初の「語り手」は、まずは、第三の「語り手」と「彼」の関わりを暗示する、ある情景を「聞き手」たちに紹介する。
それは、第三の「語り手」を「語り手」ならしめる、ある日の見知らぬ老女の出会いとそこで交わされた「風景」の記憶とでもいうべき物語。
老女の戦前の住み家の話が、彼女の記憶を呼び起こす。
彼女は高校に入るまでの間、日本各地のさまざまな土地を渡り歩いた。(中略)各地の学校でその土地の歴史を教わるたびに、たった二十年や三十年前に空襲があって焼け野原だったのだと聞かされた。一時期そのまちに住むだけの子どもには、とても背負いきれない。どのまちも外観は整っているのに、中身は傷だらけだ。
老女の現在の住み家(改修された団地)と風景の変容の話が、ニュースで見た震災の被災地の復興工事とニュースに登場した地元男性の心情へと彼女の思いをつなげてゆく。
あれはただの草はらではなく、あの(被災地の)男性のふるさとだ。彼はそこを去りたいと思ったわけではないのに、ふるさとは災害によって理不尽に壊され、復興工事によってあた奪われようとしている。しかしまちが再建されることは希望でも救いでもあっただろうし、いまではあの男性も、あたらしいまちで生業を再開しているのだろう。誰もがきっとあの男性と同じような矛盾を抱えていて、同時に支えられている。
まちが再建され、風景が塗り替えられた戦後の復興期には、あの男性と同じような葛藤があって、おばあさんがいま空き地を眺めながら感じていることに近しい感覚を持っていたのではないか。
※ ここにも第三の聞き手による「風景」と「記憶」にまつわる気づき。
そして、第三の語り手が、語りだす。義父である「彼」のことを。老女の語りが呼び出した「彼」の記憶を。(ここにも語りの「迂回」の法則。)
障害を負っていても、ことばを上手く発することができず、押入れの中でメモを書いたりぶつぶつ独り言を言いつつも、穏やかであった義父を語る「息子の嫁」は、病院で縛りつけられて何かを叫んでいた義父のことを想い起こす。
病室で聞いたあの叫び声はちょっと異質で、何かを訴えているように聞こえました。義父は優しいから、ああいう差し迫った状況にならないと、ことばを発せられなかったのかもしれない。つまり、ふだんはよほど抑圧されていたのではないかと思ったのです。
(中略)
病院のベッドに縛り付けられた義父が発したかったことばは、一体なんだったのでしょう。近頃上の娘は、じいちゃんは戦争の体験について語りたかったんじゃないかと感あげているようですが、その真相はわたしにもわかりません。
(中略)
けれどもわたしは、義父の人生をすべて知っているわけでもないので、義父がそれよりもっと叫ばなくてはならないような記憶を可能性も、消したしまいたくはないのです。
(中略)
団地のおばあさんが言っていたみたいに、風景と一緒に記憶も消えてしまうものだとしたら、義父はたくさんの風景を、時代時代で喪失してきたのかもしれません。
※ 第三の語り手もまた、他者の記憶の「わからなさ」について謙虚だ。
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「語り手」は第四の語り手を呼び出す。
「彼」の息子だ。息子は、「彼」をめぐる妻や息子の問いに何一つ答えられない。
語り手は、息子(便宜上「K」とする)の近況をまず「聞き手」に詳細に語る。
Kと教会の関わり。(両親が教会に通っていたことから、幼い頃から教会と関わりがあった)
三十代以降、教会から遠ざかったにもかかわらず、人生の困難に直面したときには、平穏な日常に戻れるまで再び教会に足繁く通ったこと。
この教会には、フィリピンからの出稼ぎ者が多く来るようになっていたこと。
「語り手」は、Kの周囲に広がる風景を丁寧に描写してゆく。まるでKが日々撮影していた風景の写真を文字に書き起こすかのように。
Kは、近頃また教会に通っている。それは震災の被災地で知り合った同い年の男の訃報を知ったから。男は写真館を経営していた。
Kは、最初の被災地訪問で、草はらになったまちを見た。
二度目の訪問で、山を削り、嵩上げの土を運ぶベルトコンベアを見た。復旧工事で変化するまちを見た。
写真館の男は、Kに失われた風景について、教会の立つ丘から語り聞かせる。
被災状況、消防団活動、亡くした家族や知人のことを語り聞かせる。
Kは、しかしいまこの遠方の地で二度目の会話をし、ふだんの生活では語られないような話を聞いている不思議を思った。
(中略)
いま男がしている話は、とてもプライベートな話のはずだとKは思った。親しい人をどのように亡くしたか、どんな苦労を経て仕事に復帰したかなんて、ふつうの状況だったら家族くらいしか、もしくは自分しか知らない秘密のようなものではないか。
Kは復興途上の被災地の風景を見る。
辺りが暗くなりだし、ベルトコンベアに点々とライトが灯ると、ますますその場所がどこだかわからなくなる。被災したまち跡は真っ暗で何も見えず、復興工事に従事する車両と、そのために造られた施設だけが煌々と光り、大きな音を放っている。まるでこの復興工事はこの土地自体と関係がないのかもしれない、とKは思った。
Kは自宅のテレビニュースで、写真館の男を見る。(これはきっと、彼の妻も見たニュースだ。)
男は、(中略) わたしたちも住民も頑張らなくてはなりませんね、と言い切る。Kは、自分と同じ五十代のふつうの男があの場に立たされていることのしんどさを想像しながら、でも彼自身はとっくに腹を決めているのだろうと思った。
寡黙なKは、このことを家族に話していない。
男の訃報を知ったあともKは何も話さず、ただ食欲が落ち元気をなくし、家族を心配させた。そして、ふたたび教会に通い始めた。
Kが男のことを毎日のように語ったのは、教会で顔見知りになったフィリピン人の女性だ。
(ここでも「迂回」の法則。語りは、こうして、遠くへ、遠くへと運ばれてゆく)
寡黙なKに代わって、「語り手」は、Kがフィリピン人女性に語ったことを記してゆく。
震災から二年ほど経った頃、被災したまちを訪ねた時に、同い年の男性と知り合って話をする機会がありました。半年ほど前に彼が亡くなったということを最近知りまして、わたしはその人に聞いた話はおろか、その人に会ったという事実すらまだ誰にも話せていないので、聞いてもらってもいいでしょうかが
このようにしてKは語りはじめる。
さらに、
写真に撮れば何かを残せるはずだ、などというのは平常時だけの話なんですね。でも、そんなことはふつうに生きていたら知る由もないことです。
と、Kは言う。
同世代の男だから、分かち合う思い出もある。オリンピックのこととか、目まぐるしく変わる社会状況もまちの雰囲気も。
消防団の団長だった男が、亡くなる前、入院中に、津波で行方の不明のままの消防団員2名を夢の中で毎夜探したという話も、Kは語った。
(消防団127名中、27名死亡、うち2人の遺体はまだ見つかっていない)
彼は入院中、その人たちのことを毎夜毎夜捜していたと言うのです。実際に病室から抜け出して転倒したため、何日かは身体をベッドに縛られていたそうですが、濁った水をかき分け、海底を攫い、あるいは被災したまち跡を歩き、伸びた草を引き抜き、嵩上げ工事の土を掘り返し……どこまでも捜し歩いたけれど、ついに見つけることができなかったのだと言います。
(中略)
そのときわたしは、彼が仲間を捜しにいったのは本当のことだと思っていました。これはきっと夢ではなくて、べつにおかしなことでもなくて、ただ本当のことなんだと思ったのです。
Kは、男が捜していた二人のために、男から思いを受けつぐようにして、祈る。
病床で夢をみる男を介して、自身の父親の晩年を思う。
もしかすれば父も、見つからない人を捜し求めていたのかもしれません。それが誰なのかわたしにはまったくわからないのですが、もしそうであるならば、父が捜していたその人を、わたしも捜したいと思います。
この話は、次々と連鎖してゆく記憶の物語であるから、終わりようがない物語なのであるが、「語り手」は、Kの話をじっと聞くフィリピン人女性の頷きと、問いをもって、いったん、物語の「場」を閉じる。
お父さんはどこまで捜しにいっていたのでしょうね。
すべては、「語り手」によって「彼」と呼ばれたひとりの「男」が、障害を得てからの後半生を過ごした押入れから始まる話。
あるいは、語りえなかったことばが暗やみの中に潜む記憶の洞窟の話。
「ことばがことばでなはない世界」としての洞窟。
この洞窟には、すりガラスを通ってくる陽光のような光がぼんやりと灯っている。
そこに記憶たちが潜んでいることはわかるけれども、それがどんな記憶なのかは、ぼんやりとして、もうわからない。
その記憶とつながるには、人々はまた別の他者の記憶を経由して、あるいは遠くへと旅をして、可能性としての記憶の物語を立ち上げてゆく、それぞれに。
どのような旅をして、どんな他者と出会い、記憶をめぐってどのような語らいをしたのか、そもそも自身がどのような体験をしたかによって、洞窟の中の記憶は、人それぞれに、問いとして、物語として、さまざまに立ち上がってくる。
記憶は真実、というよりも、むしろ夢に近いものかもしれないね、
ある記憶を、たった一つの物語に整理整頓して収めることは、到底無理ですね。
語るたび、聞くたびに、そのうえ聞き手の数だけ、一つの記憶からさまざまな物語が生まれ出るのですね。
そのうえ、しかも、語られなかったことこそが、実は本当は語りたかったこと、語るべきことでもあるのでしょうね。
「ことばがことばでない世界」に出会った聞き手が、わからなさに謙虚でありつつ、なんとかことばを捜し出そうとするとき、そこに物語が生まれるのでしょうね。
この世には、無数の「洞窟」があり、無数の未生の物語があるのでしょうね。
しかし、「洞窟」がそこにあることを知ってしまって、そこから旅に出るほかなくなった私たちは、私たちの行方不明の記憶の物語を、いったいどこまでいつまで捜しに行くのでしょうか。
『押入れは洞窟』。この物語の冒頭から、次々と「語り手」を呼び出しつつ、いっさい自分のことを語らない最初の「語り手」もまた、おそらく、そのような旅人のひとり。
この世を旅する無数の無名の「聞き手」たち、そして「語り手」たちのひとり。もう帰れない旅人。
これは、帰れない旅人の来歴を語る、ある日の夢のような物語でもありましょう。