浪曲の本領は、「粗野にして不調法」

正岡容『定本 日本浪曲史』をひもとく。
序章「浪花節是非」より。

「全く世に、浪花節ほど識者の顰蹙をかいながら、僅々五十年近くの間に全大衆の心の隅々まで食い入ってしまった演芸もあるまい。いや、今日でも文化人の過半数には食わず嫌いに嫌い抜いている人々が少なくない」
「言うまでもなく旧東京人が娯楽の対象として渇仰した演芸は、まず講談であり、まず落語であった。講談や落語に比して、往年の浪花節は、芸人そのものも、演出法も、演芸場も、あまりに野卑であり低調であった」
「創始期における講談が天下の御記録読み、太平記読みとして苗字帯刀御免であり、江戸の落語が太田南畝、山東京伝市川團十郎、立川焉馬ら文人雅人酔客の四畳半における風流三昧から出発したのと異り、浪花節の発達は全くの大道芸術として幾変転を重ねてきた。それゆえの血と汗と泥とが、その「芸」と「人」とにしつっこくまつわりついていた」

これは、正岡容が、戦前に書いた文章のように思われる。(執筆の時期が本に書かれてないのだけど、内容から推して)。

御維新以降、文明開化期の、時代の底辺に生きた庶民の「悲しさ寄るべなさ」は、「ひとり浪花節の節廻しのみが美しく伝え得ている」と正岡容は語る。「本所深川の暗い星月夜に街裏にひびく蒸気の笛のやるせなさがひたすら関東節のいのち」「河内は富田林辺りの打ちつづく雑木林をしめやかに濡らしてゆく片時雨の暗い寂しさが関西節のいのち」と語る。

なるほど、なるほど。思うに、そこには、庶民の悲しさ、寄るべなさ、やるせなさ、寂しさだけでなく、したたかさ、ずるさ、たくましさも、きっとある。大道上の「血」と「汗」と「泥」には、大道を生きる者たちが、生きていくために背負ったもの、必要としたものがすべて溶け込んでいるのだろうと思う。

それを別の言葉でいえば、「粗野にして不調法」(by伊藤痴遊)と正岡容

なるほど、なるほど。


明後日は新潟にて、玉川奈々福浪曲を2席聞く。(パンソリも古典を二つ!)。これはかなり楽しみ。声の力に立ち向かう(?)体力もかなり必要なはず。
そして、その前に、明日、浪曲全盛期を彩った浪曲師たちの声を聴くことのできる「爆音傑作浪曲会第四回 超絶啖呵編」@入谷・なってるハウス(19時〜ナビゲーター:玉川奈々福・鬼塚武志)に行こうかどうか、大いに迷い中。行きたいのだけど、うーん、行きたいのだけど、体が二つあったらなぁ……。