『実践 日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C・スコット) メモ ~ちっぽけな ”ひとり” の闘いのために~

『実践 日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C・スコット)を読んで、いろいろ楽しくなったというか、心が軽くなったと言うか。

 

この世界の問題があまりに大きすぎて、いったいどうしたらいいんだろかと立ちすくんだり、途方に暮れている者たちにとっては、「大丈夫、闘え!」と耳元で囁きかけてくれる本。

 

そうか、問題は大きくても、世界は広くても、結局、ひとりの人間が何をするか、何をしないか、というところが出発点なのだな、 闘う相手は「世界」ではなく、いま自分を囲い込んでいる目の前の具体的な「理不尽な秩序」なのだな、と安心させてくれる本。

 

とりわけ協調性がなくて組織とか集団とかが苦手な私のような者には、福音(ちょっとオーバーか……)。

 

 

以下、メモ。

 

◆ほとんどの革命は革命結社の働きによるのではなく、自然発生的で即興的な行為(マルキストの語彙では「冒険主義」の凝結)である。

 

◆「凡庸なる悪」があるならば、「凡庸なる善」もある。(組織されていない「凡庸なる善」がナチスからユダヤ人を救いもした)

 

公然と戦わなくとも、さぼったり、逃げたり、沈黙のうちに阿吽で共謀することも、そういう意味での権力への不服従も、強力な抵抗。

(逃げ足は速いほうがいいな。こっそり悪さをするのもいいな。誰にとっての、どんな秩序にとっての悪さか、というのは大事)

 

◆人が人であるためには、遊ぶこと。遊ぶために開かれた場があること。それは遊びを生み出すための場であること。

(無秩序で、予想できず、自然発生的で、即興的で、愉快な遊び!)

(人間がシステムの生産物だったり、システムを回すための消耗品だったり、システムによる価値づけに甘んじる対象物だったりするのは、ごめんですね)

 

毎日、いろいろ、遊ばないとね。