2023年12月7日の記事の補足。
近代文学が獲得する「女たちの話体」という見出しのもと、序で以下のようなことを、黒川さんは語る。
「漢字文化圏」としての極東アジアにおいて、漢文という書き言葉の教養は、女性を除外するホモソーシャルな共同性の上に成り立ってきた。反面、女たちの文化は、そこに包摂されるのを免れたことにより、定型に縛られない「口語」性を培うところがあった。漱石らの努力で、口語体による近代文学の文体がようやく整えられたことで、女たちの自由な話体もここに取り込めるようになった。加えて、女たちも、自分たちの口語体にもとづく文章を書きはじめた。
私は、女たちも書き始めた過程が、男たちのホモソーシャルな共同性の開かれ、であると同時に、いわば、文学の標準語化、国民化への女たちの包摂という、きわめて近代的な現象の一面も併せ持つように思う。
近代という時代そのものが、実のところ、ホモソーシャルな時代であったことを思うと、(今も、ですけどね)、もう一つの、別の形の、ホモソーシャル共同体の言語と文体の誕生があり、その恩恵という形で、女性は招き入れられた、というふうに捉え返す必要もあるかと思われた。
漱石「草枕」(1906)の背景には、辛亥革命前夜、清朝打倒を目指して東京で中国人留学生や革命家が活動していた当時の、アジアの国際都市東京を背景に、(少なくとも漱石はそのことを念頭において)書かれたものであり、「草枕」のヒロイン那美のモデルの前田卓(まえだつな)は、当時、彼ら中国人青年が集う「民報社」で青年たちの面倒を見る「小母さん」だった。それは、前田一家と宮崎滔天とのつながりゆえのことでもある。
「小母さん」もまた、ホモソーシャルな近代世界に中に包摂された女の姿の一つか……。
前田卓が語られ、大逆事件で刑死する管野須賀子が語られ、1910年代に訪れる、「青鞜」や、「人形の家」の松井須磨子といった「新しい女」の時代の到来も、黒川創は語るが、その眼差しは実に冷静。
黒川創は、こう言う。
鴎外と漱石のあいだに生きた明治の女たちで、自分の言いぶんをはっきり述べることができたのは、誰だろうか?
前田卓は、自分自身ではあまり語らず、せっせと中国からの留学生、革命家を助けた。
管野須賀子は、言いたいことがはっきりする前に、命を奪われてしまった感がある。(中略)
森しげが、比較的はっきりと自分の考えを述べたのではないか。彼女の創作には、若さをとどめる女同士の雑談の先に洩れてくる、ちいさくても、きびきびとした、愛らしい感情のうごめきがこもる。だが、当時、ほとんど誰も、本気でそれに耳を傾けたりはしなかったようである。
けれども、ものを書く上で、その葉先にとまる言葉というのは、そんなものかもしれないのだ。まだ、誰も、何がそこにあるか気づかない。その程度のものとして、かろうじて存在しているものが、この世界にはある。これまでも、これからも。だが、それには意味がある。まだ語られずにいるとしても、そこからの影響が、のちの世へと続いていく。
ここには、文学に携わる者、言葉に携わる者、この世界の真ん中のこと、片隅のことを問いつづける者たちが考えるべきことが、語られている。