今朝の別れ(本調子)


今朝の別れに
主の羽織が隠れんぼ
雨があんなに降るわいな
青田見なまし
がたがたと鳴く蛙


「え、高くて声が出ない。大丈夫、舞台にあがりゃ、不思議に出るもんなんです」。小唄のお師匠がそう言うんですが、お稽古で一生懸命やっても、蛙が鳴いているようなら、まだ「蛙の歌」という童謡もあるくらいだからいいんだけど、あたしの場合、子豚がキイキイ鳴いているようにしかならないんです。


アタシは調子笛で三味線の音を合わすときは5本で合わせます。本調子で三の糸が9とか10とかを超える音になったら、声を裏返さないと、もういけません。でもね、声が裏返らないものだから、妙にかすれた、不気味なささやきのような、途切れ途切れにコッコッコと鳴く壊れたニワトリのような、性格の悪い子豚が陰謀めぐらして思わずこぼれ出た高笑いをキッキッキッと歯を食いしばって我慢しているような、一言で言えば、ど下手ということです。こんな歌を歌っていたなら、いくら羽織を隠したところで、素っ裸のままでも主は逃げていってしまうに違いないわ。情けのうございます。


声を転がしたり、うねらしたり、すーいすーいと落としたり、ひゅるるるとあげたり、こんなのが自由自在にできるようになったら、男をだまくらかしたり手玉にとったりなんて、お手のものなんじゃないかしら、なんて不埒なことを、たまーに考えます。だって声も声色も声音も間もはぐらかしも自由自在なんて、ほとんど超能力。この超能力を身につけるには、全身火を噴くような火だるま稽古を毎日しなければいけないんだそうです。

本木寿以という小唄の名手の芸談を読んだんです。この人、6歳の6月6日に常盤津のお稽古を始めて、やがて歌沢の世界で名をあげて、戦前は上海や満州にも公演や放送出演やお稽古をつけに出かけたりしていたという。彼女を満州に呼んだご贔屓気さんは関東軍の参謀だった河本大作で、張作霖爆殺事件の重要人物。後には満鉄理事や満州炭坑の理事長をしたという人でございます。


とはいえ、寿以さんは、この手のキナ臭い政治向きの人ではなく、芸のことしかわからない。しかも、芸のこやしというか、芸への情熱への源になったのが、粋な歌沢の歌い手に道楽者の夫が気移りしてツラい目にあって家を飛び出し、歌一本で生きていかねばならぬ境涯になったこと、これが人生の転機でした。


生きていくために歌う。そのためにそれこそ熱気で燃え上がりそうなお稽古を積み重ねていく。そのうち、気づいたら、嫉妬や羨望や怨念邪念などどこかに消えてなくなっていて、歌うために生きている、そんな人生になっていた。歌に浄化されたとでも言うんでしょうか。


歌にもなってないような歌を歌いながら妄想ばかりしているアタシは寿以さんの人生語りを読むうちに、垂れる先がなくなるまで、頭をたれてしまいました。


小唄に打ち込み、小唄で身を立て、小唄で女ひとり、世の中を渡っていくことができるほどに、世間に小唄が染み入っていたことも、寿以さんの語りで知りました。世間とは言っても、広い世間というより、通人・粋人の世間といったほうが正確なのかもしれません。なにしろ、河本大作だけじゃありません。粋であることが勲章になるような世界の方々、実業家、政治家、軍人、芸人、道楽者とまあ、いろんな殿方たちが、戦前、戦後、昭和30年代くらいまで「小唄」の世界を支えてきた。その頃は、小唄リサイタルで三越劇場の大ホールが溢れんばかりになったとか。料亭のちょっとしたお座敷で小唄のひとつも歌えぬような無粋な男に世の中が動かせるかっ!てな感じだったんでしょうねぇ。


きな臭い男どもと、歌に身ごと心ごとはまって歌に日々浄化されて生きているような女の歌い手が差し向かいで、ともに歌って語り合ってひと時を過ごしている。そんな時、男たちは、そのきな臭さを一瞬でも忘れていたのでしょうか。それとも一瞬でも忘れたくて祈るような気持ちで歌いにきたのでしょうか。そんな高尚なことではなく、ただの助平心だって、歌いながらも心を邪念がよぎる一瞬だって、そりゃ人間ですから、ありはしたのでしょうけれども。


寿以さんの人生の物語を読んでいて、あらためて思ったんですけど、自分の息遣いで必死の祈りのように歌って一心不乱に生きているような人に、私は心底敬意を感じます。

自分の息遣いで歌う、自分の息遣いで生きるということの難しさを、あらためて、つくづくと思います。


その一方で、何もかも悟ったような口ぶりで、歌なんて、人生なんてと、生きてるくせに息してないような人、必死の一心不乱の人生や歌を小ばかにするような大バカ者に出くわしたりすると、お稽古のときに火を噴きゃいいのに、こういうときに発作的に無駄な火を大噴きに噴いて、ぜいぜいして、生きるのに疲れたわ、なんてうっかり口走ったりする。私も相当の愚か者でございます。


小唄ではないのだけれども、最近の歌う私に寄り添っている歌(というか、私のほうが寄り添っている歌)が、
中島みゆきの『ファイト!』。これをみゆきの息遣いではなく、私の息遣いで歌う。小唄のお稽古とも相通ずる目下の目標です。



ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が 笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を  ふるえながら のぼってゆけ