恥ずかしいこと

引きこもり生活。生身の誰とも話さず、ただ本とだけ向き合って、音楽に耳を傾けて、一日が終る。最近、一週間のうち五日はそんな感じ、それが心地よくもある。

生きるためには、生きるためにこそ、語りえぬことが人にはある。語りえぬことだからといって、それは必ずしも聴こえぬことでも感じ取れぬことでもない。語りえぬ、生の秘密を、語りえぬまま、大切に、そっと、やりとりする、そんな関係を人と人との間に結んでいけたなら、秘密を抱えたままでも、秘密を抱え込んでいるからこそ、生きがたい生をしっかりと生きていけるように思う。



人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすく書けるのは
恥ずかしいことだ
尹東柱『たやすく書かれた詩』より)


ひとは、生きようとするときに、自分の観念や身体にどのようにはたらきかけているのかということを考えた場合、意味づけの問題において、生きる上で、ほのめかす、ということもありうる。しかし、あえて言わない、というか言わないままに生きてこられた、あるいは言わないままに今現に生き続いているということがある。
ということは逆に言えば、ある出来事、あることは、生きる本人には秘密として存在しなければならないということ、それがイコール生き続けることができることとつながる。ここが、語ることと語れないこととの、ぎりぎりのところ。(『つぶやきの政治思想』李静和より)