熊本放送で「流転〜追放の高麗人と日本のメロディー〜」が放映されたのは、確か2004年だったか……。その前年2003年にロストフ・ナ・ドヌまで、高麗人、チェチェン人、メスへティア・トルコ人等々、旧ソ連を漂流する人々を訪ねて、テレビクルーとともに旅をしている。この旅のコーディネーターは、ウズベキスタンの高麗人写真家アン・ビクトルであり、彼はロストフ・ナ・ドヌで事業をしている幼馴染に現地手配をすべて委ねた。その幼馴染は、一言で言うならば、「闇の世界」の住人。日本の歌とともに流転していった高麗人の足跡をたどるプロデューサーの青写真にのっとって制作されたドキュメンタリーの枠の中においても、闇を住処とし、闇を生きていく上での傘とする、流転の民の生はちらりと垣間見えてはいる。2003年のロストフ・ナ・ドヌでの経験は、私に、世界の光と闇、その闇を見つめることを教えた。闇とは、流転する民を覆う闇だけではなく、流転する民が生き抜くために抱え込まざるをえない、それぞれの「生」のうちの闇を意味してもいる。映像化も、言語化も拒むような闇。ドキュメンタリーのテーマは「歌と流転」、私はそのなかに配置されながら、しきりに闇のほうが気にかかり、安部公房がかつて「内なる辺境」という小文の結びに置いた言葉を想い起こしていた。

「越境者たちに必要なのは何も光ばかりとは限るまい」(安部公房

ドキュメンタリーの枠を離れた、文字での記録は、雑誌「世界」2003年12月号「越境者たち」にある。2003年の段階での、私の小さな目に映った、現実のきれぎれのかけらのような、覚え書き。

めまぐるしく移り変わってゆく旧ソ連の状況、そのなかを漂流する人々の現状は、もう、2003年に書き留められたささやかなメモなど吹き飛ばすほどに変転していることだろうと思う。

2003年の旅の案内人であったアン・ビクトルはもうウズベキスタンにはいない。ウズベキスタンカザフスタン→モスクワと生きる場所を移し、今は、さて、どこをさまよっているのか……。

闇に向かうこと。光を当てて見えるその先に、まだ果てしなく広がる闇に向かうこと。


現在、神保町の在日韓国YMCAで『Cut'n'Mix第III期「韓国併合」100年/「在日」100年を越えて』という連続講座がもたれている。
そのなかで、7月17日に講師を勤めることになっている。
http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/cutnmix3/schedule.html

アン・ビクトルをはじめ、旅で出合った人々のことにも、かなりの駆け足で触れることになると思う。が、彼らとの出会いの記憶を語ることを目的とするものではない。と、言いつつ、何を語るかは、まだ混沌。「在日」を遠心力にして、外にばかり出ていっていた25年間の見つめなおし。旅の意味の問い返し。自分の中の闇との対峙。