ざわざわする日々

心がざわざわして、しばらく腰を据えてモノを書くということができぬままにいたら、石垣島の水牛老師から、地震以降どうしているか、心配しているとメール。ああ、知らぬ間に自分は内向きに閉じていたんだなとハッとして、水牛老師に電話をする。久しぶりに友人たちとやりとりをする夕べ。

何かが根本的にひっくり返って、今までと同じようには書くことができない、容易に言葉を発することができない、手探りで言葉を探す日々。

こんな時期に、20、21、22日と新潟、柏崎をめぐってきた。新潟では「声、テクスト、身体」というプロジェクトの一環である講演。こんな時期だからこそやろうと、「語りえぬことと向き合うわれら」を直視するための語らいの場を持つ。新潟大学のベンニャミン、新潟日報のきゃさりんにひとかたならぬお世話になった。

柏崎では一歳の頃の私をよく知るおばさんを訪ねる。一九六一年頃から1年間、柏崎で暮らしたわが家のことを、お隣に暮らしていたそのおばさん(当時は履物屋のおねえさん)に尋ねようと思っていたのだが、おばさんが覚えているのは、赤ん坊だった私のことばかり、(子供好きで、仕事で忙しい両親に代わって、すすんで子守をしていてくれたらしい)、わが家の苗字すら覚えていない。おばさんにとって、私は、ほぼ50年ぶりに姿を現したわが子のようにも思われるらしく、柏崎を訪ねた私をおばさんが車で連れて行ってくれたのは、恋人岬なのであった……。私もまた今まで知ることのなかった、もうひとりの肉親に柏崎で出会ったような思いがした。

地震直後、奈良のほうに身を寄せていた娘と孫のハコちゃんが、昨日横浜に戻ってきた。2週間ぶりに会うハコちゃんは随分とまた人間のようになっている。もう6ヶ月半にもなるからなぁ。せーの、と掛け声をかけて、両脇を抱え、ピーンと立たせると、まがりなりにも立っていることが嬉しいらしく、アカンボのくせして、立派に、「どや、立っているやろ、自分」と、どや顔をする。そうか、そんなに嬉しいか。