イオド、そして第三の島。

アイルランドの幻想の島、ハイ・ブラジル。波照間島の海の彼方の幻の島パイパティロマ、済州島の沖合の幻の桃源郷イオド。この世を漂う者たちが彼方に夢見る島。『群島‐世界論』(今福龍太 岩波書店)を読みながら、私にとっての「イオド」に思いを巡らす。

高銀いわく「済州島が済州びとたちの現在として確認され、そこでの孤独と苦難、また絶ゆまざる彼らの忍耐と並行するあらゆる不幸ゆえにそこからの希求の絶頂として「イオド」が創造されたのである。…(中略)…「イオド」は済州島に対するまたひとつの済州島なのだ。それが済州島の現実を否定するとしても、その語感には済州島への還元の意味が含まれている」

今福龍太いわく「逆にいえば、幻想の島の創生こそ、島の真の創生そのものだった。であれば、島はどのような島であれ、つねに自らの分身としてのイオドをつねに希求しつづける。島は、自らの分身である常世の島戸のあいだの、なかば放擲されかけた緊張関係のなかで、それ自身への執着と愛を確認するのである」

「ハイ・ブラジルも、パイパイティローマも、そしてイオドも、人間の共同体が精神の均衡を絶望的に求める衝動に発した、蜃気楼のような観念の島だった」
「そしていまや、こうした異郷の楽園の島へのまなざしは、むしろ島から現代的離散の結果として遠く離れて異邦に住むディアスポラの島人とその子供たちによって、反転されようとしている」

アイルランドから、琉球弧から、そして済州島から、生まれ島を離れて現代世界の隅々にまで離散して生きる人々とその末裔たちは、ハイ・ブラジルを、パイパティローマを、そしてイオドを、どのような観念と具体性の配分のなかでいま幻視しうるのだろうか?」


「自らの離散した場所が、異郷に死すべく定められた彼らにとっての屈折したイオドなのだろうか?」


「それとも、帰還し得ぬ遠き父祖の島こそが、すでに憧憬のイオドと化しているのだろうか?」

「現代的離散は、自らの島とその痛苦の分身の二重の放擲を彼らに求めることによって、第三の島を、未知の泡のなかから浮上する私たちの新たな住み処をあるがままに受け入れる流儀を創造しようとしている。それは同時に、生まれ島への透徹した愛を表明する、まったくあたらしい作法でもありうる」(今福龍太)

第三の島。
そもそも、私は、生まれた時から、知らず知らず、第三の島に生きていたような気がしなくもない。気づかなかっただけで。たぶん、今も、確かに気づいてはいない。それを語る言葉をまだ持たない……。