テンポウ語りと、明治の世の替え歌

伝えられている「テンポウ語り」に、こんなものがあった。


ゆうべー大きな夢を見たー
ゆうべ大きな夢を見たー
駿河の富士山荷縄でしょってー
奈良の大仏さま懐へ入れてー
軍艦二そうを下駄にはき、
電信柱をステッキについてー
通りかかった酒屋の店でー
七七四石九斗の酒飲んだ
酒の肴に塩鱒七こり生で食った
あんまりのどが渇いたから
信濃川へと口をつけ
ぐーっと飲んだら
何だかのどがつかえたようでー
エヘンとせきばらいをしたんだらばアア
       アンアアアアアア
万代橋めーがアアアアひょっこらひょんと
       とんで出ーたー



この大男の歌にはいろいろなバージョンがあるらしい。
というのも、日清戦争のことを調べていた折に、当時はやった流行歌に、こんなものがあったという、その歌の一節がこんな歌詞。↓

「富士のお山に腰をかけ、鎮遠定遠下駄に履き・・・」

鎮遠定遠も、清の軍艦の名前。
おお、そうか! 呼び名が流行歌であれ、テンポウ語りであれ、つまり人々はこういう大ぼら吹きの滑稽な語りを楽しんでいたのか、と、あっちこっちにとッ散らかっていた知識がつながった瞬間の、心が晴れ渡るような感覚!

菅江真澄も「ひなの一ふし」に、テンポウ語りとして、大男の歌を記録しているという。

ちなみに、瞽女の伊平タケは、こんなふうに歌っていたという。


ゆうべー夢見ーたー大きな夢をー
千石船をば下駄にはき
このまた帆柱杖につきー
駿河の富士山ひとまたぎー
あんまり疲れたそのときにー
比叡山にと腰をかけー
あんまりのどが渇いたでー
琵琶湖のお水を一飲みにー
飲み干しましたるそのときー
何かのんどにつかえたゆえ
エヘンとせきをしたときに
瀬田の唐橋ーが飛んで出ーたー



鈴木昭英先生は、その論文でこう語る。
「私はこの種の語りものが、もっと普遍的に盲人芸として行われていたのではないかと推定している。広く伝播・流布していた語りものならば、一つの同類形式として口承文芸のジャンルをなすわけであるが、その場合、これに”大語り“という名称をつけたいと思う」
(この「大語り」は、柳田国男の、大話・まねそこない話・おろか者話の三分類に則っている)


この項つづく。