ソルムンデハルマン・ダイダラボッチ・天狗語り

連休中は、八王子駅前の放射線通りで、八王子古本市。
『韓国の民間信仰』(張寿根著)資料編、論考編を購入。済州島の巫俗を詳細に論じた2冊。


論考編第一節 島勢概要に、島の創世神話の女神 ソルムンデハルマン(ソルムンデ姥)が登場。
「巨人婆様が土をその裳またはシャベルに入れて運んできて、注いだのが済州島になり…」云々とある。
そして、この巨人婆様を、日本の巨人伝説「ダイダラ法師」と重ね合わせる。

「ソルムンデ姥は済州島の東端にある城山日出峰と西南海の上の馬羅島に足をついて洗濯をしたというが、ダイダラ法師は榛名山に腰かけて、利根川の水で洗濯をしたという」

さらにダイダラ法師伝説を「国引き」に結びつくものとする柳田国男の言葉を引く。
「要するに巨人が国土を開闢させたという伝承は、本来民族共有の財産であり、神を敬う最初の動機もここから生まれたものである」(「ダイダラ坊の足跡」『一目小僧その他』より)


と、ここまで読んで、長岡郷土史15号(昭和52年3月31日発行)で紹介されていた「テンポウ語り」のことを思いだした。

江戸時代、長岡では、年頭に座頭が祝福の門付けをして回るときに、まず長絹の衣を着した位のあるものが平家を2・3句語り、それが終わると付き従っている初心の盲人がテンポウ語りを面白おかしく語り、物乞いをしたという。

この話は、ハッと気づけば、2015年7月に書いている。

http://d.hatena.ne.jp/omma/20150722/p1

このテンポウ語りに登場する「大男/巨人」の背後に、ダイダラボッチが潜んでいるような、その気配はソルムンデハルマンに通じているような……


あらためて、テンポウ語りの文句を記してみる。


「夫てんぽうがたりかたり候。富士の山に火がついて、めくらが見つけ、きんかが聞え付、足なしがとびこみ、手なしがもみけしたりのものがったり。

「夫てんぽうものがたりかたり候。天竺の鎌三郎が買ふたる牛の角は、七曲まがりて八そりそり、九のくねりくねりて、くねりくねりめに毛がはえて、ねぢかたまったりのものがたっり。


これを早口でやる。テンポウ語りは、盲人の口承芸能の一つの「早物語」の一形式と言われる。

明治になれば、門付けの芸は、平家からチョンガレへ。それでも初心者はテンポウ語りからはじめる。五色軍談、チョンガレ、阿呆陀羅経などといっしょに、早口のお手軽語り芸。

◆ ◆ ◆

 ゆうべー大きな夢を見たー
 ゆうべ大きな夢を見たー
 駿河の富士山荷縄でしょってー
 奈良の大仏さま懐へ入れて
 弥彦の山をばたもとに入れてー
 軍艦二艘を下駄にはき
 電信柱をステッキについてー
 通りかかった酒屋の店でー
 七七四石九斗の酒飲んだ
 酒の肴に塩鱒七こり生で食った
 あんまりのどが渇いたから
 信濃川へと口をつけ
 ぐーっと飲んだら
 何だかのどにつかえたようでー
 エヘンとせきばらいをしたんだらばァァ
 アンアアアアア
 万代橋めーがアアアアひょっこらひょんと
 とんで出ーたー

長岡市滝谷町で記録されたもの)


◆ ◆ ◆

ゆうべー夢見たー大きな夢をー
千石船をば下駄にはき
このまた帆柱杖につきー
駿河の富士山一またぎー
あんまり疲れたそのときにー
比叡山にと腰をかけー
あんまりのどが渇いたでー
琵琶湖のお水を一飲みにー
飲み干しましたるそのときー
何かのんどにつかえたゆえ
エヘンとせきをしたときに
瀬田の唐橋ーが飛んで出ーたー

刈羽瞽女の伊平タケによる)


◆ ◆ ◆

「富士のお山に腰をかけ、鎮遠定遠下駄に履き・・・」

これは日清戦争当時の明治の戯れ歌
鎮遠定遠も、清の軍艦の名前。

日本全国、テンポウ語りめいた大男の戯れ歌


◆ ◆ ◆


テンポウ語りの、テンポウは、新潟の新発田あたりでは「嘘」やら「ホラ」やら、そんな意味合いで今でも使われる言葉だ。


◆ ◆ ◆

<かたりもの>の世界で、テンポウと似た言葉に、「てんごう」がある。
たとえば、説経祭文「日高川 入相桜」の一場面。


安珍を追いかける清姫と、飛脚のやりとり)

清姫 これ、待ってくださんせ。この先に二十歳ばかりの山伏姿、器量……
飛脚 おっとっと、みんな言うには及ばず。
   そりゃ、後の松原で会うた山伏殿のことであろう。そのわろが頼みにはな
清姫 さあ、なんと言うたえ
飛脚 イヤサ、鼻柱ががーんと言うた。
清姫 はて、何をじゃらじゃら天狗(てんごう)言わずで、有り様言うてくださんせいな。
飛脚 イヤサ、有り様とは大方そなさんのことでもあろうがの、なんでもこの後から、
   十六七の女子が見えたなら、俺に会うたと言うてくれるなと頼まれたわい。

この「てんごう」は与太話、ばかばかしいこと、くらいの意味で使われている。
「てんごう」は当て字。


◆ ◆ ◆

浄瑠璃でも、同じ場面で「てんごふ」という。


◆ ◆ ◆

この「てんごふ」と、長岡の「テンポウ語り」の「テンポウ」は、元は同じ言葉なのではないか、
「てんごふ」がなんらかの理由で「てんぽう」に変わったのではないか、と推測はしてみるが、その裏付けは今のところ、ない。


◆ ◆ ◆

ソルムンデハルマンからはじまって、ダイダラボッチ、巨人伝説を下敷きに、大法螺吹きの「てんぽう語り」、諸国放浪かたりもの遊芸者たちが共有した物語のひとつの「原型」、てんぽう、てんぽう、とその音を繰り返し声に出してみれば、「てんごふ」へと連なってゆく、「てんごふ」を「天狗」と書くのは説経祭文だが、当て字なのか、そもそもそう書くのか、分からぬものの、そう書いてみれば、語り物を諸国に伝えた修験者の姿もフッと浮かび上がる。そういえば、「日高川」で、清姫から逃げる安珍は、山伏の姿をしているのだった。