遠野に伝わる「阿字十万……」の偈文から、旅する物語における、真言修験、念仏聖の存在の大きさを知る。

遠野の小友町の座敷念仏の中に、「阿字十万三世仏 微塵(彌字) 一切諸菩薩 乃至(陀字)八万諸聖教 皆量(之)阿無(弥)陀仏」という偈文がある。

これと「神呪経」との深い関わり。

「神呪経」は、高野聖の念仏に理論づけをしたという興教大師・覚鎫の思想と共通するものとされている。


<佛説阿彌陀根本秘密神呪経>
阿字十方三世佛 彌字一切諸菩薩
陀字八萬諸聖教 三字之中是具足


しかし、まあ、耳で聞きおぼえたらしい偈文を小友町の人びとに書いてもらうと、その当て字の面白いこと!

彌字が微塵、陀字が乃至、

さらには、こんなのも。
なむ八十方三世仏 水(=弥字)一切堂 保坪大姉(=発菩提心) 
王城安乱国(往生安楽国)也 公明平壌(=光明遍照)


「すさまじい当て字には、村の人々がこの念仏にいだくロマンさえ感じられ、不思議なムードが漂っている」(確かに!!)


さて、ここで重要なのは、この「阿字十万……」の偈文が、遠野だけでなく、東北の中世の板碑や民衆の念仏に見られること!! 

「これらの板碑が密教系の念仏聖によって造立されたこと」
「中世の東北に、これら「阿字十万……」の偈文を説いて持ち歩いていた一群の聖たちがいたことを暗示している」

さらに、
「注目すべきことは、この「阿字十万……」の偈文が中世の御伽草子説経節のなかに多く登場すること」

cf) 「かるかや」

遠野に、東北に、念仏だけでなく、物語を持ち歩いた聖たちの姿が浮かび上がってくる。