金属民俗学、という視点がある。 それは、戦慄せよ! と、平地人たるすべての近代人に語りかける。

金属民俗学から読み解く『遠野物語』とは、遠野の「物語」ではなく、遠野という地に物語を呼び込んだ「金山」と、「金山」に向かって物語をたずさえつつ旅をした者たち/山師/山伏/聖/遊行の徒たちによって種をまかれ、風土によって育まれてきた「物語」である。



「國内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ……」
という『遠野物語』に書きつけられた柳田國男の言葉も、金属民俗学の視点からは、単なる山人と平地人のスタティックな対比ではなく、平地という一つの場、移動する者たちの交差点であり結び目となるような場と、その場を行き交う者たちのダイナミックな風景を想起させる言葉として読み替えられる。

そこには、移動し、ある場所へともたらされ、変容し、育まれてゆく物語の風景がある。
それはいまやすっかり忘れられた「物語の原風景」でもある。
それを忘れてしまっていることをこそ、いまわれらは戦慄しなければならないのではないか。
精神的に山を完全に見失った近代人として、その意味での平地人として。



以下、『遠野物語の原風景』からの抜き書き。


「遠野の不思議な座敷念仏を調べているうちに、その背後から中世の聖や山伏たちの姿があぶりだされてきた。」


「彼ら山伏や聖たちは、土地の領主にしばられることなく、全国にはりめぐらされたネットワークによって、諸国を自由に往来することのできる人たちだった。そして彼ら中世の宗教者たちは、山師や金掘り、鍛冶師や鋳物師、たたら師などの金属・鉱山民をはじめ、巫女、唱門師、芸人、大工、山の民、川の民……など、諸国を渡り歩く“非農業民”とも密接に重なっていた。」


「修験や聖たち自身も現在私たちが考えるような単なる宗教者ではなく、金属・鉱山民的な性格をもっていた者もいた」


「ここに遠野の座敷念仏は十月仏の太子信仰を持ち伝えた人たちとも重なり、壮大な宗教空間として浮かび上がってきたのである」

(「十月仏やマイリノホトケは、その土地にまだ寺が立つ以前からの信仰と言われ、死者の枕元に掛軸をかけて僧侶の引導に代えたものといわれている」

「十月仏のような聖徳太子信仰が鉱山と深い関係にあるという研究がある……(中略)……法印は水源地を掌握し、太陽の運行を熟知し、金山の光明を背景に護摩の灰の霊力をもって、民衆に臨んだ山の代官であった。そして鉱山経営者であった修験者や法印が、大日とか阿弥陀などの高級な仏を拝んだとすれば、彼らに使われた生産労働者としての金掘り、鋳物師、木地師、杣人などは、修験者より一段低い信仰対象としての太子信仰が与えられたのではないか」 ※これは井上鋭夫『一向一揆の研究』から引いている)


「これら東北の歴史の影で活躍した名もなき修験や聖たち……。彼らはまた「物語」を造り出し、語り伝えるすぐれたプロの技術者の芸能民でもあった。


「近世には単なる呪術的な宗教集団となってしまった山伏も、古くは山中の金属資源をにぎる技術者集団でもあった。金属は国家の存亡をにぎる物質である。山伏の呪術に凄みがあったのも、金属をはじめとする技術を背後にもっていたからではなかろうか。」


(※ 水銀と高野山と鉱山技術の関係が重要!!!)


「山の中には、”影の国家”とでもいうような、もう一つの世界が隠されていた」