文字を持たぬ世界

「文字をもたない世界にあっては言葉は神聖なものであり、威力あるおのと考えられた。呪言が相手の人間に不幸を与えると考えたのもそのためである。また、人々が不幸について語るとき「これは自分のことではないが……」と前置きして話しだすのも、その不幸が身にかからぬためであった。」


「今日、昔話として採録せられているものの中には、神楽・祭文、その他神事舞踊の詞章であったと思われるものがすくなくない」

★これは山伏、比丘尼、遊行の徒の持ち運んだ物語との関わりを思わせる。



「内地の各地でも、庚申の夜だとか、大晦日の夜などに昔話の語られたのは、昔話が神祭りから完全に分離していないことを物語る」

★くりかえし、語ることに意味がある。語ることで更新される世界がある。


「ここに大事なことは農民の頭の中にあった神の姿は、われわれが歴史の書物でみるミズラ(上代の男子の髪形)を結い勾玉を首にかけた人ではなく、自分の周囲の人たちとたいして変わった支度をしていないが霊力をもっていることである」


★「お岩木様一代記」の、神さまになる<あんじゅが姫>

★<あんじゅが姫>といえば、イタコ、そして山伏。

「東北地方はとくに出羽三山を中心にした山伏の多いところである。この山伏たちは檀那場によって村人につながることは他の巫女・神人たちと同様であるが、宿を多く民家にもとめ、その炉辺では昔話のよき話者であったという。山伏の昔話と祭文で語られる語り物に、どういうつながりがあるかを十分にたしかめていない。」


ただし、
津軽地方では盲僧・巫女は修験道の寺の管理するところであり、それも加賀白山系のものであったようである」


「ただ門付だけでは、それら遊行者の語り物の詞章は一般民衆の中へ伝承としてとけこむことはすくなかったと思われる。一種の師檀関係の成立が、遊行者と民衆をかたく結ぶなにより重要な鍵となるのである」