読書 

サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』  メモ その2

2009年3月に東京大学で開催されたサラ・ロイと徐京植の対談に先立ち、徐京植がサラ・ロイの「ホロコーストとともに生きる」へのレスポンスが語られた。 そこで徐京植は、 世に流通する「ユダヤ人対アラブ人」「ユダヤ人対イスラム教」という単純で暴力的な対…

岡野八代『ケアの倫理  ――フェミニズムの政治思想』 読後メモ

たとえば、民主主義の発祥は古代ギリシャだと言われる。 しかし、それは、身の回りのお世話を誰かにしてもらっている男たち(=市民)が担うもので、彼らのお世話をしている奴隷や女たちは市民ではない。 奴隷や女たちの無償の労働の上に立って、自由だの、…

高秉權(コ・ビョングォン)『黙々  聞かれなかった声とともに歩く哲学』(明石書店) メモ

高秉權。この韓国の哲学者が書くものは、とても好き。 哲学・思想がこの人の体をくぐり抜けると、社会を底から変えてゆく実践と結びついてゆく。小さな声を封じることで成り立つ近代社会を支える人文学ではなく、変革の人文学が見えてくる。 『黙々」は、199…

阿波根昌鴻『米軍と農民 ー沖縄県伊江島ー 』1973 岩波新書 その1

昨年12月に那覇ジュンク堂一階で開催されていた古書市の、ちはや書房の棚で見つけた本。 1955年 米軍が伊江島真謝地区に襲いかかり、家をブルドーザーで潰し、火を放ち、農地を軍用地として強制収用する。 そこから土に根差し、暮らしに根差し、人であること…

『いつか、この世界で起こっていたこと』(2012 黒川創)

黒川さん、チェホフが好きだけど、チェホフ好きな自分がいやなのかな。 詩人アンナ・アフマートヴァみたいに。 私もチェホフは好きです。「曠野」とか「学生」とか、とても好きです。 たとえば、「学生」。 実家のある田舎の村に帰ってきている神学生イワン…

旗のない文学――朝鮮 / 「日本語」文学が生まれた場所 

面白いな。 金達寿ら横須賀在の朝鮮人たちは、解放後すぐに旗を作ろうとして、太極旗の四隅の「卦」がわからなくて、それを覚えている古老を探しまわったのだという。 植民地の民に、旗なんかなかったんだね、朝鮮人の文学も日の丸以外の旗なんか立てようが…

サハリンの日本語文学 李恢成 /「日本語」の文学が生まれた場所

植民地支配という近代日本の負債を通して、サハリン(樺太)の日本語文学は、非日本人の作家・李恢成へと引きつがれた。 と黒川創は書く。なるほど、確かにそうかもしれない。 1981年にサハリンを訪れた李恢成は、現地で会った師範大学で経済学を教える朝鮮…

女の言いぶん  『「日本語」の文学が生まれた場所』黒川創

yomukakuutau.hatenadiary.com 2023年12月7日の記事の補足。 近代文学が獲得する「女たちの話体」という見出しのもと、序で以下のようなことを、黒川さんは語る。 「漢字文化圏」としての極東アジアにおいて、漢文という書き言葉の教養は、女性を除外するホ…

闇の奥   

2024年の最初の一冊は、コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳 光文社文庫)。読みなおし。コッポラの『地獄の黙示録』のイメージが強すぎて、それを振り払いながら、 若き頃にコンゴ川をさかのぼっていった老船乗りマーロウが、闇の中で見て聞いて経験したこと…

作家キム・ヨンスと詩人白石と詩人金時鐘と詩人キム・ソヨン

キム・ヨンス『七年の最後』(橋本智保訳 新泉社)を読んだ。 これは、北朝鮮の体制の中で、ついに、詩を書かないことで自身の文学を全うした詩人白石の、詩を書かなくなる最後の7年を描く物語であり、キム・ヨンス自身の文学観が語られている物語でもある。…

李起昇 作品抜き書きとメモ その2「鬼神たちの祝祭」2019

この人は、なんというか、言語原理主義のように感じる。 すべてを言語から説明をつけようとする。 日韓の違いとか、差別の構造とか。 明晰さより、息苦しさが先に立つ。 日本と韓国とのはざまで、日本と韓国に囚われて生きること、そう生きざるをえないこと…

「不知火曼荼羅」石牟礼道子 (砂田明『海よ母よ子どもらよ』より) 

明後日2020年5月9日 必要で、緊急な、大事なことのために、水俣を訪れる前に、乙女塚の塚守であった故・砂田明さんの本を読んでいる。 その本に寄せられている石牟礼道子さんの文章から。 ----------------------------------------------------------------…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその2

2017年7月下旬 相模ダム建設殉難者追悼会に筆者は自閉症の兄とともに参加する。 戦前にダム建設で亡くなった日本・中国・朝鮮の犠牲者に対してだけでなく、前年7月のやまゆり園事件の犠牲者に捧げる黙祷も合わせて行われたそのとき、自閉症の兄が叫んだ。「…

「平成とは「戦わない国家」の憲法的規定を「祀らない国家」の憲法的規定とともに空文化していった時代であるのだ」(子安宣邦の論考より)

戦う国家は、祀る国家であるということ。 戦うために、「祀ること」もまた中央集権化した国家であるということ。 近代に於て、日本人が忘れさせられた最たるものとしての無数の「小さき神々」(風土の神々)を想い起こすこと。 「国家神道の現在とは、歴史か…

戦前に、朝鮮窒素の興南工場に電気を送るために、昭和2年より、現在の北朝鮮の山岳地帯に赴戦江水力発電所の建設工事が始まった。

ダム建設は、赴戦江、長津江、水豊と続く。 それは朝鮮窒素という一民間企業を中心とした電力開発事業でありながら、 アメリカの国家事業TVAに匹敵した。 どれだけ新興財閥窒素が植民地朝鮮で権力と結びついて横暴であったか、 どれだけ人間がモノのように扱…