エマヌエーレ・コッチャ『メタモルフォーゼの哲学』  抜き書き

「乗り物の理論」より  p134

 

身体とは、空間や場からの脱出、あるいはもっとうまく言えば、それらが絶えず変異するための原理の可能性の条件である。わたしたちが身体を持っているのは、<いまここ>によりいっそう付着するためにはではなく、場を変え、時間を変え、空間を変え、形態を変え、物質を変えることができるためである。乗り物としての身体はメタモルフォーゼの可能性の条件である。この身体は他所へ行き、他者になることを可能にする。

 

あらゆる身体は旅の途中だ。

 

重要なのは、実体と場所性の論理を反転させることである。実体は存在せず、したがって他者に支えられていることは旅をしていることを意味する。他の生に変えるということが意味するのは他所へ運ばれているということだ。あらゆるものは、何かになるために他のものの惑星にならなければならない。あらゆるものは他者に対する乗り物となるという関係を受けいれる。一方で、世界との関係はつねに他の身体によって媒介されている。単純で直接的な実存は存在せず、それゆえリアリティとの直接的な関係はけっして存在しない。他方で、身体の一部をなすということはただ一つの身体に融合していることのみならず、その身体によって他の身体と他の場所の無限性に運び込まれていることをも意味している。あらゆる身体は秘密の通路である。あらゆる身体は他の世界の無限性の入口なのだ。