「コミューンは外部である――存在の闇と離脱の政治学  李珍景インタビュー」より

最近の興味関心は「穴」を作ること。

そういうわけで『不穏なるものたちの共同体』の著者でもある李珍景が『HAPAX11 闘争の言説』に寄せた声にじっと耳を傾ける。

 

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「コミューンというのは資本主義の外部であり、それを構成する実践的な場所の名前であると考えたのです」

 

「コミューン主義革命というとき、(中略) 真の革命は人間どうしの平等の実現だけでなく、人間ではない別の存在との平等が可能なのか、それはいかなるものか、ということを問うことなくしては考えられないと思います」

 

「歴史的に革命を試みてきた人びとや、別の生を生きようとした人びとは、基本的に負けてきたわけで、(中略)既存の価値や思想が支配的な世界で闘うということは基本的にほとんど勝つことができない力関係が前提にされています。」

 

「ややもすれば失敗はわたしたちの運命のようなものであり、時折やってきたりする成功は、その失敗の運命を忘れさせてくれる歌のようなものだというべきかもしれません。これは事態を成功と失敗、勝ち負けの問題として見るかぎりにおいて避けえないように思います。」

 

「わたしたちは失敗してきましたが、敗北してきたとは思いません。」

 

「われわれは資本主義のないところにむかうのではなく、資本主義のなかで穴をつくっていく。悪人がいるというのはどの世界でもそうですし、それよりもっと困るのは悪い人以前に良い人も壊してしまう資本主義という「悪い」世界のなかでわたしたちが生きて、なにかをせねばならないということです」

 

「われわれは悪人がいるなかで資本主義に穴をあけるコミューンをつくろうとしていく。悪人がいること自体は敗北ではない。そこで自分たちで穴をつくる」

ひそかな日本国内ディアスポラの記憶に、奈良で出会う。

きのう(9月28日)、奈良で一番最初に親しくなった友人たちを訪ねていった。

奈良で、水俣の友人つながりで、出会った人たち。

ケーキ作り得意女子と、うどん作り得意男子。

 

ケーキ女子は北海道・江別出身で、もともとは母方は山形、父方は福島相馬。

両親は北海道で出会って結婚したわけで、そもそもは両家共に開拓移民の家。

「北海道はアイヌの生きる土地だったんですもん。それを私たち「日本人」が奪い取ったんですもん。北海道に生まれ育って、北海道に身の置き場がないんです」

 

親は浄土真宗門徒ではないか、と尋ねれば、そうだと答える。

相馬から北海道に移民した貧しき人々は、そもそも天明の飢饉のあとに、越中・越前からひそかに相馬に移民した真宗門徒の末裔なのだ。

さらに言うなら、この真宗門徒の末裔たちが、原発事故のために、さらなる移住を強いられた人々でもあるのだ。彼らは、天明の頃に辿ってきた道を逆に戻って、そのうちの多くの者たちが新潟・柏崎へ。

 

なぜ、柏崎かって? 刈羽原発があるからね。

福島浜通りは、原発経済のうえに成り立っていた暮らしで、原発で働く人々は、各地の原発をめぐるものだから、原発関係者同士で結婚することも多々あり、福島で行き場を失った人々が、縁を頼って柏崎へ、ということが起こっていたわけです。

 

さてさて、ケーキ女子は、越前→相馬→北海道と流転してきた一族の娘で、それはすべて時の体制の中で、生きのびるために選択された道で、与えられた選択肢を選ばざるを得なかった民の娘は、いま、その選択がついには北海道の大地の収奪とアイヌ差別に加担していたことに胸がかきむしられる思いだと言うのでした。

 

ケーキ女子が水俣に向かったのは、偶然ではないでしょう。

そのあたりの経緯はまだ聞いていません。

でも、近代という仕組みを根底から考えようとするならば、誰もが一度は水俣を目指すのではないでしょうか。

 

とりわけ、そういう人々のなかには、知ってか知らずか、ケーキ女子のように、日本近代のなかでディアスポラを強いられてきた人々もきっと多いのでしょう。

 

ケーキを作って、うどんを作って、さりげなく人々が集まる「場」をケーキ女子とうどん男子は開いていて、二人はなにも声高には言わないけれど、

(その場に並べられている腑二人の蔵書、レコード、流れる音楽が代わりにいろんなことを声をあげずに饒舌に語っているのですが、それを見るも見ないも、聞くも聞かないも、当然にそこにいる者の自由です)、

そこは、ケーキとうどんに引き寄せられてただそこにたどりつくだけで、そこから新しい旅の行方が見えるような、そういう「場」なんですね。

 

旅の途上で、そういう場所に辿りつくと、しみじみ嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風の済州の記憶  2019年9月19日~24日 

 

台風接近中の9月22日、もうほとんど暴風雨の中を、海辺の東福里にひとりのハルモニを訪ねる。

元海女、そして소리꾼( ソリクン 歌い手)。16歳の頃から、村で死者が出れば、死者を送る「行喪歌(ヘンサンソリ)」を歌うようになった。

歌は、やはり「行喪歌」を歌い、「回心曲」も歌い、民謡も歌った名唱であった父親譲り。父は、海に放り出された済州四三の犠牲者の遺体を集めて弔いの歌を歌った人。

 「行喪歌」を聞きたかったけれども、この歌はふだんは歌ってはならない。

 「回心曲」は、仏教の教え。そして鎮魂。ナムアミタブル/南無阿弥陀仏

 

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9月23日、何度目かの四三平和記念館

前に来たときには、この映像はなかったな。

犠牲者のすべての名前が碑に刻まれ、映像にも映し込まれるなら……。

 

1948年4月3日に山に入って決起し、政府の差し向けた警察・軍隊・右翼団体と闘いつづけた者たちのうち、その中心人物たちの名はまだ刻まれていない。

四三犠牲者の、政治的選別。

youtu.be

 

『分解の哲学  腐敗と発酵をめぐる思考』(藤原辰史 青土社)   メモ3

生態学的な言説にはいつもナチズムの罠が潜んでいるのである。」

 

「分解」を語る時に、忘れてはならぬ問いとして、著者が繰り返し語ること。

 では、ナチズムやスターリニズムを振り切ったうえで、なおも生命と人間社会の多元的で連鎖的なふるまいをとらえるためには、どうすれば 良いだろう。「国民」とか「一体性」といった粘着性を取り除きながら、他方で、各所と接続可能な、いわば身体を飛び出た神経回路的な概念が必要であることも一方で感じた。さもなければ、たちまち労働という荘厳な生命循環過程を重視して、国民の統一をはかったナチスの罠にはまってしまう。

 この罠は、ちまたの論議が「生命」や「循環」や「自然」という合言葉に疑いなく寄りかかってしまうことで社会全体の罠に化ける。

 

生命の偉大さに身を捧げる、森羅万象の海に身を委ねる、諸行無常の営みとして自分をむなしゅうする、というような超越的なものへの礼賛とは異なる回路で、自然界と人間界を統合的に語ることはできないだろうか。

 

そこで、糞虫登場。スカラベは、古代エジプトでは死と再生の聖なる虫だ。

ファーブルがどれだけ、糞虫の美しさを語ったことか。

糞虫をとおして分解の世界を語るファーブルは、排泄を、食事を作ることとほとんど境界線の引けない行為として描く。消化器官は物質循環の通路になる。

(なにしろ、糞虫は糞を食べるそばから、黒い糸のような糞を排泄していく。この黒い糸は微生物たちの食べものだ)。

 

近代空間の硬直した文脈に限定される排泄行為から、分解現象のなかで、よごれやけがれなどの意味がはぎ落とされ、「機能」を失い、「無為」となったものが、生きものたちのあいだを、たわむれのようにゆらゆらと動く。『昆虫記』はけっして昆虫だけを描いているわけではない。

 

ファーブルの語る「糞虫」は、関東大震災の混乱の渦中で権力によって殺されたアナキスト大杉栄の心をとらえ、大杉は仏語の原書からの日本語訳を試みる。「ファブル昆虫記」。その奥付は1922年8月22日。

大杉がそこに書いた序文を紹介する藤原辰史の心意気。『分解の哲学』の第5章は、そのためにあったのか! と思いましたよ。

大杉栄曰く、 

糞虫と云ふのは、一種の甲虫で、牛の糞や馬の糞や羊の糞などを食つてゐるところから出た俗称だ。糞虫が、さう云つた糞を丸めて握り拳大の団子を造って、それを土の中の自分の巣に持ち運ぶ、其の運びかたの奇怪さ! 又、一昼夜もかゝつて其の団子を貪り食つて、食ふ尻から尻へとそれを糞にして出していく、其の徹底的糞虫さ加減! (大杉栄

 

糞虫さ加減! 糞虫性! それは、

「大杉を監獄に閉じ込めなくてはならないほど不自由な社会に対する抗いの言葉なのかもしれない。大杉が思想の根拠とした「本能」を上から押さえつけることでしか発展しない社会の構造への批判かもしれない」(by  藤原辰史)

 

糞虫性! そこには「美」がある。「それは、中央集権的な機能美ではなく、拡散的で非統一的な作用が入り乱れる美である」。

(「機能」。それは生産性へとつらなる思考なのであろうが、「機能」を語れば、おのずと近代に、ナチズム的全体主義に、からめとられてゆく。)

 

あらためて、藤原辰史の考える「糞虫性」の美しさにあふれた「分解」について。

「分解」は一個体では完遂できない。分解する側の複数のアクターたちの協力関係のみならず、分解する側と分解される側の暗黙の協力関係が前提である。主体的でも客体的でもない「分解」というはたらきの担い手が、刻一刻と変化していくというふうに考えるほうが、生物界をより豊かにとらえることになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『分解の哲学  腐敗と発酵をめぐる思考』(藤原辰史 青土社)   メモ2

ゼノ神父とマリア・北原怜子の「蟻の街」(バタヤ/屑拾いの街)をとおして、「分解」を語る。

 

各々気ままな行為とも言うべき自己の快楽の集合体が、なぜか、全体として生態系ならびに人間社会のメンテナンスに向かうことが、分解の世界を貫く原理なのである。

 

警察権力に監視されるしかないルンペン・プロレタリアートとして、バタヤたちのなかに、マルクスは革命の主体を見出すことをしなかった。それは正しい。バタヤは革命をしようとはしない。思想信条は関係なく、生活させてくれそうな人間の側につく。だが、これはバタヤのくらしの問題だ。バタヤの世界の作用と構造は、革命とは異なる世の中の変わり方を胎蔵している。各個人の恥しさを超えた興奮と忘我が集まることで、各個体の行為を根底から見守り、助けるのである。

 

分解の世界を生きるために、

「屑拾いのマリア」を探すな、屑を拾え、屑を喰え、

みずからが屑を喰う存在であると認める恥ずかしさを捨てよ。

『分解の哲学  腐敗と発酵をめぐる思考』(藤原辰史 青土社)   メモ

「土や水や微生物のはたらきはもっとアナーキーである」

 

「生命を生存させたままで<帝国>を死滅させるにはどうすればいいのか。そのヒントもやはり腐敗、つまり分解にある。」

 

生産力を基盤にした発展史観の上に形作られる「世界」、(この世界の行き着く先はオーバーヒート、自爆だ)、そこに生きる「生産・建設の主体」というイメージ(想像力)への囚われから、いかにして脱するか、

いや、そのイメージをいかにして分解するか、そこが藤原辰史の議論の重要なポイント。<帝国>の爆死に巻き込まれない、そこが大事。

 

もしも、<帝国>を爆死ではなく腐敗死させることができるとすれば、人間中心的に言えば、その腐敗死のあとに巻き添えにならない。そのときマルチチュードは、つぎの三つのはたらきを担うことになるだろう。

 

①土壌に生息する生きものたちのはたらきのように、互いに好き勝手に、解体、分解、修理を遂行する。(中略)いまある耐久財を半永久的に使用できるように、分解と修理を科学および芸術の領域にまで引きずり込むことがまず必要。

 

②農業に従事するマルチチュードも、土壌の腐敗作用を最大限活性化する。

 

マルチチュードが「食べる主体」になる。(中略)現在「食べる」行為は、生産ラインの尻尾にくっつくおまけでしかない。(中略)もしも、食べものの腐敗、解体、消化、排泄の過程にもっと時間をかけ、エネルギーが投じられれば、ようやく食べることは回復する。(中略)食べることは、分解過程のネットワークの一部であり、つねに受動的である。受動性を引き受けつつ、それでも、大量生産され大量廃棄される食品流通システムの端末装置にならないような自律性が求められる。食べる主体は、すべてを自分で決定し行動する主体とは異なる。(中略)人間が生態系の一部であり、生態系そのものであることが認識されると、マルチチュードは情報網に頼らなくても互いに連結できる。修理・修繕も、省農薬・省化学肥料の農業も、そして時間をかける料理も食事も、それ自体、人間関係を自然と連結する行為だからである。

 

活性化させるべきは生産過程ではない。分解過程なのである。 

 

かもめ組 小史! (神戸・凱風館公演前にちょこっとまとめときます。昔のことより、ここ10年のことのほうが不確かな年頃になっちまったもんで……)

まずは久しぶりに神戸に集合のかもめ組。かもめ組としては初神戸です。もうチケットは完売です。

テーマは「乱場(ナンジャン)」でござる。

声の力でカオスを呼んで、世界の再生の場を開く、という、壮大なテーマですな、これは。

 

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さかのぼれば、7年前、はじまりは、これだったのです。

2012年10月7日 

かもめ組 新潟・万代橋 旧水揚げ場の仮設野外劇場「かもめシアター」にて出帆!

新潟で、列島の語り芸「浪曲」、半島の語り芸「パンソリ」が出会い、結び合うことの意味をわれらはもちろん考えておりましたよ。

でも、芸能は、芸能そのもので、声で、五感で、六感で、響き合うものでして、

野暮な言葉は発しません。

 

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この日、新潟市主催の水と土の芸術祭のプログラムの一つ、「浪曲からパンソリへ、パンソリから浪曲へ」に、浪曲玉川奈々福 曲師沢村豊子 パンソリ:安聖民 鼓手趙倫子 道案内人:姜信子 の三組が初めて同じ舞台に立ち、公演終了時に「かもめ組」誕生が宣言されたのでした。

このときは二回公演。

水辺で語られた浪曲「金魚夢幻」 パンソリ「水宮歌」のあの響き合いは鮮明に記憶している。

「水宮歌」の虎先生登場の場面では、安聖民の背後にいきなり大きなトラ猫がのっそりと姿を現し、物語と現実が交差する瞬間が現出したのでありました(大げさだねぇ、この物言い)。

 

※この時のプロデューサー堀川久子とは、のちに<玉川奈々福(語り)×渡部八太夫(三味線)×堀川久子(舞)×姜信子(文)=やたがらす組>として「八百比丘尼の話」を東京・馬喰町ART&EATで上演することにもなる。

 

2013年2月9日(土) 

かもめ組として、東京にて初舞台浪曲からパンソリへ パンソリから浪曲へ」

昼の部 浅草・木馬亭  夜の部 馬喰町・ART&EAT
出演:玉川奈々福浪曲。曲師:沢村豊子  
   安聖民(アン・ソンミン)=パンソリ。コス(太鼓)*李昌燮(リチャンソプ) 
   道案内人=姜信子

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このときの、公演前の、玉川奈々福と安聖民のやりとりを、玉川奈々福facebookよりここに再掲。

 

奈々福:パンソリは節は決まっているのかな。浪曲は演者により全く違う。とはいえ、全く自由なのではなく、節には形があり段取りがある。だから師匠について修業してない人の節は一発でわかる。

聖民:節。うーん…演者によって違うというのは、同じ歌詞でも演者によって違う旋律で歌うということですか?

奈々福:そうです。同じ演題、同じ歌詞でも違う。でも、浪曲は、パンソリほど演題を共有していないので、テキストや演じかたも、演者ごとに違ったりしますけれど。まず、節付けのしかたが、演者ごとに違う。もちろん、師匠のまんまに演じる演者もいますが、浪曲の理想は、「自分の節」を作ることなので。

聖民:パンソリも、一流の演者になると、自分で師匠が歌っていた旋律とは違う節回しを作ります。私はまっだまだですが・・・。旋律の流れをパンソリではソリキルといいます。ソリは音or声、キルは道という意味です。ソリキルはある程度決まった型があります。そして、パンソリの場合はやはり伴奏が太鼓だということもあり、旋律もさることながら、リズムが大事です。

奈々福:ああ。なるほど。そんな話も、当日できるかしら。したいですね。浪曲の三味線は弦楽器であると同時に、打楽器でもあります。やはり、リズムです。

聖民:三味線ってそうですよね・・・。羨ましいです。ソリはKeyを保つのがとても難しいから・・・。パンソリは、節=テモク、啖呵=アニリといいますが、アニリで演じることに入り込んで興奮し、Keyが上がってしまうと次のテモクで死にそうになります・・・というか、その後の展開が・・・。上がってしまったKeyは落とせないので、自分で自分の首を絞めにかかるという・・・(涙)

奈々福:なるほど!音程支えてくれるものがないと、大変だ!

聖民浪曲は場面によって使う節に型はありますか?パンソリの場合は悲しい場面には界面調(ケミョンチョ:短調)の旋律、チニャンヂョ(18/8)やチュンモリ(12/4)のリズム…とだいたい決まっています。例外もありますが…。浪曲も節リズムに名前はついていますか?

奈々福:ついていますよ。外題付(冒頭の節)は、まず「きっかけ節」で始まります。それからリズムのある節、「関東節」「アイノコ節」「キザミ」……関東節の中にも「関東節の地節」「憂いの関東節」「阿部川町の節」などがありますし、アイノコ(浮かれ節)も演者によってバリエーションがあります。悲しい場面は、「愁嘆」「憂い」という節を使うことが多いですが、私たち関東節では「憂いの関東節」という、コードはメジャーだけれど、なんとなく憂いの漂う節を使います。風雲急をつげる場面では「セメ」。あと「言葉ゼメ」とか、いまはほとんど使う人のいない「説教」「四つ間」「観音」「勘違い」。また、演者独自に開発した「約節」などもあります。 安さん(18/8)とか、(12/4)とかがわからない。どういうリズムか、当日、教えてほしいなあ!

聖民:なるほど!節の名に数がたくさんあってびっくりしました。パンソリは曲調(いわゆるメジャー、マイナーの区別)が大きく羽調(ウヂョ:長調)、界面調(ケミョンチョ:短調)の分かれていて、細かい節回しには~モク(~喉)という名前がついています。これはたくさんあります。例えば、いわゆるビブラートは「トヌン モク(震える喉)」とか・・・。当日、少し例を挙げたりして観客の皆さんにご紹介すると楽しいかも・・・^^ リズムについても!

奈々福浪曲は、メジャーマイナーがはっきり分かれていなくて、節の中でも行ったり来たりします。「モク」に興味あるなあ。やってみてほしいなあ! 私がパンソリワークショップ受けたいぞ!

聖民メジャーマイナーですが、パンソリでも行ったり来たりしますよ。私も「きっかけ節ってこんな感じ・・・」みたいなレクチャーを受けてみたいです!

 

 

このとき、昼の部浅草木馬亭の舞台の真っ最中、新大久保では在特会による無残なヘイトスピーチが大々的に繰りひろげられていたのでした。

 

このときから、明確に、かもめ組は、「こんな時代だからこそ」をひそかな合言葉に、語りの声を行き交わせ、境を越える場を開く道へと共に足を踏み出します。

 

2013年11月23日

かもめ組 新潟再訪 舞台は新潟市内 シネウィンズ!

このとき新潟日報に寄せた文章をここに再掲します。

 

 浪曲からパンソリへ、パンソリから浪曲
  懐かしいカモメが二羽、新潟へ。
 

 さてさて、お集まりの皆様は、一年前に新潟で起きたひそかな大事件をご存知でしょうか? 千年前に生き別れた姉と妹が、姉は三味線の調べとともにこの列島の言葉で浪曲を、妹は太鼓の響きとともに海の向こうの半島の言葉でパンソリを、歌い語りながらてくてくと道行くうちに、なんと新潟の万代島旧水揚場でばったり出会った。見つめ合えばなんだかよく似た懐かしい顔。二人は千年ぶりの再会の喜びを、浪曲で、パンソリで、歌い語った。そのとき水揚げ場には群れなす白いカモメ。その日から、この千年のさすらい姉妹、玉川奈々福と安聖民は、旅するカモメと名乗るようになりました。

 思えば、いつの世も、大きな声や力に弄ばれて地を這うように生きる者たちは、「きっと伝えておくれ カモメさん」と、(これは日韓で歌われた演歌「釜山港へ帰れ」の一節!)、カモメのように旅ゆく者たちに願いをかけてきたものなのです。カモメたちは無数の思いを受けとり、海を渡り、道を伝い、思いを結び、祈りをつないで、脈々と名もなき者たちの物語を歌い語る千年もの道のりを生きてきたのです。

 この世に歌が生まれ、語りが生まれたはじまりのときへとさかのぼれば、そこには旅する異人(まれびと)、芸能の民がいます。いずこより現れては去りゆく異人を神と信じた者たちがいます。はるかな昔、神を迎えての宴の場、祈りの時こそが芸能のはじまりの場でした。それからずっと異人たちの旅はこの世とあの世を結び、見えない世界への通い路を開き、この世の痛み苦しみ呪縛を解きほぐし、名もなき者たちこそが主人公の歌や物語を紡ぎだしてきた。

 そのはるかな道のりを、もしや、あなたは忘れてはいませんか? 
 今ここで地を這うように生きる私たちこそが主人公の歌や物語を、あなたは見失ってはいませんか? 

 新潟と言えば、ふっとこんなことを思い出しもします。瞽女さんが三味線で弾き歌う瞽女唄を蚕に聞かせりゃ、美しい絹糸が取れたという。三味線の弦は絹糸です。かつて、蚕から絹糸を紡ぎだす技を列島にもたらしたのは半島からの異人です。この異人は死してのち、道行く芸能者たちの秘かな神になったといいます。絹糸に結ばれた半島と列島の秘かな祈りの道。それは、千年さすらいカモメ姉妹、玉川奈々福と安聖民を結ぶ道でもあるのです。

 来たる11月23日、懐かしいカモメたちがふたたび新潟に舞い降ります。泣いたり笑ったり喧嘩したり愛し合ったり、ちっぽけだけどきらりと光る名もなき者たちの物語を歌い語ります。それはきっと、あなたの物語でもあるのです。

 

 それからあとは、ほぼ年に1度のぺ―スでかもめたちは集まっては声を放って遊んでいます。

 

こんな時代でありますから、大いに遊ばなくては、ですなぁ。

 

2014年11月15日  2度目の東京公演 @亀戸・カメリアホール!

 

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2015年2月21日  初の大阪公演@ドーンセンター

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2015年3月15日 福岡公演@西南学院大学

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2017年7月9日 東京@日本橋社会教育会館

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