2021年師走  西成・ココルームでもう一個 詩を書く

お題は「箱」です。

まず、そのお題をいただいてから、絵を描きます。2分で。

 

二人一組になって、相手の描いた絵を見ながら、インタビューします。6分で。

私もインタビューされます。6分。

 

そして、互いに、相手から聞き取った物語を、詩にします。タイトルもつけます。10分で。

 

たいへん、たいへん。

 

そうやって、「ひゃー」と言いながらできたのが、↓の「からすの唄」です。

 

 

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「女」であること  恨百五十年  ~2021年師走に~

今日、2021年12月11日は、大阪・西成 ココルームで、煤払い 詩の朗読会

ライターの社納葉子さん、ココルームの上田 假奈代さんと三人で、釜ヶ崎芸術大学の皆さんに囲まれて、年末に人生の煤払いをしようということで、あれこれ語り合いました。

 

そのなかで読んだ一編。

わが家に伝わる、ひそかな伝承。(こうやって書いてしまったら、ちっともひそかじゃないね)

 

「女」であることとは?  という、社納葉子さんからの問いかけをそのままタイトルに。

 

 

「女」であること  恨百五十年

 

 

たぶん150年くらい前のお話です、まだ王さまと貴族がいた頃の、朝鮮の、南のほうのある農村に、パクという田舎貴族の屋敷がありました、そこにリーという名の青年儒学者がパクの娘の家庭教師として迎えられた、娘は大事な箱入り娘でした、その娘に「女が人間となるための大切な徳目」を教えること、それがリーの務めでした

 

 父母につかえること

 夫につかえること

 舅姑につかえること

 兄弟と仲良くすること

 親戚と仲良くすること

 子どもをしつけること

 法事をすること

 客をもてなすこと

 やきもちを焼かないこと

 言葉に気をつけること

 金品を節約すること

 家事を勤勉に行うこと

 病人を介護すること

 衣食を整えること

 家のために祈ること

 

ああ、つまらない、魂を殺すような教えばかり、いつまでも箱の中の人生、ところがそれを教えるリーは情熱の男なのでした、勢いあまってむやみに手取り足取り娘に教えたのでした、だんだんとリーの体の中で何かが溢れてこぼれだす、娘をしっかり収めているはずの箱がぐらぐらと軋んでいく、リーはそっと娘に歌いかける 

 

 こちらにおいで おぶってあげよう 二人で遊ぼう

 いとしい いとしい いとしい人よ おまえに何を食べさせてやろうか

 甘い蜜をかけた赤いスイカをやろうか きゅうりをやろうか

 ブドウをやろうか さくらんぼをやろうか 

 甘酸っぱいあんずをやろうか この僕をやろうか

 こちらにおいで 顔を見せておくれ 後ろ姿を見せておくれ

 笑っておくれ いとしいひとよ

 おまえも僕をおぶっておくれ

 

リーは何度もそうやって娘に歌いかけたのでしょう、娘もみずからの声と言葉で歌を返したのでしょう

 

ある日、娘は屋敷の中でひそかに子を産んだ、父親の田舎貴族のパクは娘と娘の子をあっという間に絞め殺して埋めて、闇の中に葬り去った、親や世間からあてがわれた箱から許しもなく飛び出てしまったキズモノ、家の恥、それが娘に与えられた罪の名でした

 

なのに、リーはどうしてつつがなく生涯を終えることができたんでしょうか

 

せめて、娘の死の秘密を抱えつづけること、それがリーの一族の運命となりました

 

あれから150年

リーの子孫の男たちは相も変わらずつつがなく、ろくでもなく、生きては死んでいきました、ところが、リーの子孫の女たちときたら、つまり私の祖母や、母や叔母や、私たち姉妹のことなんですけど、誰もがつつがない人生から遠く離れて生きてきた、家を飛び出し、朝鮮を飛び出し、日本に渡り、いろんな種類のつつがない男たちとつがっては振り舞わされたり出戻ったり、女ひとりでぐいぐい生きたりじたばた死んだり、悲しくてもたくましかったり、つらくても楽しかったり、歌ったり踊ったり狂ったり叫んだり、世の人はそれをとかく不幸と呼びますけどね、実際のところ、不幸にしろ、幸福にしろ、世間並みの言葉なんかには収まりのつかない人生です、その謎を解き明かそうとリー一族の女たちは霊感たっぷりの拝み屋さんを訪ねていっては、いつもこう言われたのでした、

 

 あんたの先祖のせいで殺された娘が祟っているんだよ、あんたの一族の女たちが

 絶対に収まらないよう定まらないよう、手を取り、足取り、魂を引っ張っている、

 すさまじい力だよ、どんなに祈っても、鎮まらない、永遠に

 

そう、あれから、もう150年も経ったんです、どうしても収まれない私がいます、ついこないだのことですが、やはりどうしても収まれない姉と二人、固く誓い合ったんです、いいかげん、もう、この祟りは私たちの代で止めてしまおうって、その祟り、全力で引き受けましょう、そう決めたんです、

 

私たちは、私たちを収めようとするこの世のあらゆる「箱」を、全力で蹴散らして生きることにいたしました! 

 

収まりません、いつまでも! 

 

それこそが、パクの娘に何よりふさわしい祈りではないですか 

この世のすべてのパクの娘を「箱」の呪いから解き放つ最高の祈りじゃないですか

 

思えば、パクの娘の祟りは、私たちにとっては最高の祝福だったのです

 

 

註) 文中のリーの歌は、パンソリ「春香歌」のうち「サランガ 사랑가」を借用。

今日、釜ヶ崎、ひと花センターで。

ココルームを主宰する詩人 上田假奈代さんの詩のワークショップに参加。

 

cocoroom.org

 

二人一組、

お題は「みかん」で、

最初に「みかん」という言葉に思い浮んだ絵を2分くらいで下手くそに描いて(これ大事)、

その絵を手掛かりに互いに5分くらい、みかんのある風景、人生模様を聞いたり語ったりする。

 

私の相手は、69歳の釜のおっちゃん。初めて会う人。

ワークショップでのおっちゃんの名前は「ウルトラマン」。

 

おっちゃんが描いたのは、昔のブラウン管のテレビが一台。

 

五分、フルに使って、おっちゃんの話を聞いて、そのあと10分で慌てて書いたのが、こんな詩です。

 

 

『1億50万個のみかん』

 

びっくりしたなぁ 西成のウルトラマン

私のとっても大事な友だちが生まれ育った佐賀の武雄の北方町の炭坑で

少年時代を過ごしていただなんて

 

ウルトラマンが言ったんだ

お父さんは地下にもぐって

お母さんは二番目のお母さんで悪い人じゃないけれど 

死んじゃった最初のお母さんのことを忘れられないから 

ちょっぴりさみしかったんだよね

でも大丈夫 シュワッチ!と一言叫べば

僕は世界を守るみんなのウルトラマンだったのさ

 

ウルトラマンはみかんが好き 

みかん一個で3分戦える

ウルトラマンは特に大みそかのみかんが好き

みそかは夜遅くまで 

家族で紅白歌合戦を見ながら山盛りみかんを食べて

夢の中で世界のために戦いつづけたのさ

 

あれから六十年

十五歳で炭鉱の町をあとにして ずっと戦ってきた

みかん一個で3分 いままで1億50万個だ

シュワッチ!

江戸期、「語り物」と出版はメディアミックスビジネスだったということ。(メモ)

『初期出版界と古浄瑠璃』(柏崎順子)という論文を読んでいる。

 

まず基礎知識。

 

古浄瑠璃の展開について。

①語り物の時代  街道筋で浄瑠璃が語られていた時期

②慶長・元和期  操り浄瑠璃成立の時期

寛永期(正保・慶安) 正本の刊行が開始される時期

④承応・明暦・万治・寛文期 創作の時代ー作者の登場

⑤延宝・天和期   宇治嘉太夫の登場

⑥貞享以降     竹本義太夫の登場により古浄瑠璃の世界から脱皮

 

 

◆正本刊行に先立って、慶長・元和期の古浄瑠璃演目のほとんどは、浄瑠璃以外の説経や舞曲でも語られていた。

「詞藻に限ればジャンル間の差は余りない」 (← これ重要)

 

浄瑠璃正本は、浄瑠璃専門に出版する浄瑠璃本屋による。

 浄瑠璃正本の本文には、寛永から正保にかけて、幸若舞大頭系の本文に依拠しているものが散見される。

 つまり、これは、正本本文が耳で聞いて採録したものではなく、明らかに書承によって成立したということ。そして、それは、出版書肆と浄瑠璃の関係があってこそのものだということ。

 

  書肆と浄瑠璃の提携関係!  両者一体の商業ビジネス!

 

「本屋は作品作りに関与し、浄瑠璃は舞台でそれを上演する。人気作品であれば、芝居も儲かり、本もまた売れたのである」

 

「本来は語り物である浄瑠璃を本文化できる体制、即ち興行界との繋がりが成立しているからこそ営業を開始できるわけである。つまりこうした新興の書肆が営業を開始する時点で、浄瑠璃との関係はあらかじめ約束されていたと考えられる」

 

浄瑠璃本を出版した本屋は「草紙屋」を自称していた。

 当時、草紙屋が出版する絵草子は、草子屋によって著された作品であった可能性大。とすれば、草子屋には既成の草子類のテキスト、挿絵、商品の集積があり、草子作りのノウハウの集積もあったはず。

 

浄瑠璃本を出版する書肆は、本文が集積していくセンターのような機能を有しており、他のジャンルの本文の作成にも関与していたと考えられる。さらにその書肆は浄瑠璃の興行界とも何らかの繋がりをもって営業を展開している形跡があり、単なる書肆としての営業というよりは、一種の芸能プロダクションのような機能をもっていたと考えられる。

 

まずはここまでで十分に、語り物は口承、正本は語りの再現という思い込みが打ち砕かれました。(この思い込みが、今まで、語り物の地理的な伝播を考える上で、想像力の壁になっていったことにも気づかされたという……)

 

そしてさらに、興味深いことに――

浄瑠璃界―書肆>の興行ビジネスの背景に伊勢商人の存在があるらしい……。

 

江戸-京都ー伊勢を結ぶ動き。

これはさらに仙台にまで伸びてゆく。(奥浄瑠璃につながる話だ!)

以下、その話。

 

寛永年間に伊勢嶋宮内という名の太夫が伊勢から江戸にのぼり、さらに京都にやってきて、太夫名の正本も残している。その正本を出しているのは伊勢出身の書肆山本久兵衛(京都)。山本久兵衛が、伊勢嶋宮内の正本を一手に引き受け。

 

正本製作にあたって、山本久兵衛はセンター機能をフルに発揮し、たとえば、「たむら」(慶安三年八月刊)を刊行するに際し、お伽草子「田村の草子」を借りて、親子二代の物語に再構成するのに謡曲「田村」の構想を用いている。

 

◆万治・寛文期に、江戸に和泉太夫浄瑠璃作者岡清兵衛のコンビが金平浄瑠璃を創り出したことで、江戸系の正本を京都でも刊行するという流れができる。(それ以前の草子とは逆の流れ)。

 

その際、京都の書肆による正本は、江戸の正本をもとに加筆・省略・改変を加えたもので、京都での語りの実演をもとにして成立したものではない。

江戸正本と京都正本は書承的につながっている。(←ここ大事)

つまり、京都の書肆が江戸正本の改訂編集に関わっている。さらには、舞台に先立って書肆がこのような作業をして、太夫に本文を提供していた可能性も高い。

 

◆万治・寛文期 浄瑠璃テキストは江戸から京都へ、草子テキストは京都から江戸へ、という流れがあった。そして浄瑠璃に関しては、江戸は日比谷横丁の書肆グループ、京都は山本久兵衛グループの両グループが提携している。このグループは、伊勢出身の太夫の正本に深く関わっている。(伊勢は語りの本拠地の一つなのだ)。

 

◆一方、当時、江戸には、通油町(現在の小伝馬町辺り)に新興の草子屋が次々と現れ、通油町の絵草子屋西村屋与八が、奥州に古浄瑠璃を製本して卸していた。

 

◆元禄期、通油町の書肆松会(伊勢出身)と仙台の書肆が協力して本の刊行をしている。

 

◆仙台でもっとも旺盛に出版活動をした書肆は伊勢屋半右衛門という。

 

伊勢商人は江戸を中継地点にして北関東や東北に流通ルートを持っていた。

 

この江戸と仙台の奥浄瑠璃、絵草子のつながりを考えるとき、その背景に伊勢商人の活動を考え合わせると、説明がつくのだと、論者。

 

当時の書肆がそういったプロダクション的な機能を持ち得ているのは、その経営自体に伊勢商人が関与していたことで、商売のノウハウや流通ルートも存在していたからであると考えれば、当時、実際に生じている様々な事象、江戸の書肆松会と仙台書肆との相合版出版、奥浄瑠璃と江戸の絵草子屋との関係、仙台の大手書肆伊勢屋半右衛門の存在等、その他多くの出版界における伊勢関連の事象が納得のいくものになるのである。筆者は江戸版について考察してきたなかで、万治年間あたりから江戸で次々と営業を始めた娯楽に供するような本を出版する新興の書肆が、主に木綿業に携わる伊勢商人が軒を連ねていた大伝馬町とその通りに続く通油町に集中しているのは偶然ではなく、同じ伊勢からやってきた商人、あるいは印刷職人のなかに、出版を手がけるものが現れた結果なのではないかと考えている。その中心的書肆である松会が伊勢出身である可能性が高いことも、その蓋然性を高めている。

 

◆以下、wikiの「伊勢商人」の項からの引用。

伊勢商人の屋号は主に「伊勢屋」「丹波屋」など。江戸では主に伝馬町界隈に出店する事が多かったようである。又江戸では伊勢出身の商人はかなり多かったらしく「江戸名物は伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われていた。

伊勢商人は、元々、戦国時代中期から日本に流入してきた木綿を全国に出歩いて行って売りさばいていた存在であった(一例として、本居宣長の実家・小津家がある)。当時の木綿は高級生地であったため、これらから得た利益が彼らを豪商と呼ばれる存在へと高めていった。木綿・呉服のほか、材木・紙・酒を扱った伊勢商人がおり、金融業・両替商となる者もいた。

伊勢おしろいも主な取引品目の一つである。

江戸時代前期に当たる寛永年間から中期に当たる元禄年間にかけて、続々と江戸や大阪、京に出店するものが現れた。これは江戸幕府による支配が安定し、経済制度の整備が進められたことを反映している。

 

◆同じく、書肆松会に関わること。

松会 三四郎まつえ さんしろう、生没年不詳

江戸時代地本問屋である。江戸最古の版元といわれる。

略歴

正本屋、草紙屋と号す。村田氏。元禄期、江戸の長谷川町横町、後に通油町で営業しており、江戸最古の書肆のひとつである松会市郎兵衛の後嗣と思われる。貞享ころから松会三四郎の代にかわる。慶安から享保期に幕府お抱えの書物方御用書肆となり、元禄までに200点に上る典籍を開版している。この版元の刊行物は「松会本」と呼ばれており著名である。

三四郎菱川師宣絵本を出版したことで著名であり、貞享4年の『江戸鹿乃子』には浄瑠璃本屋、元禄5年の『万買物調方記』には浄瑠璃草紙屋、元禄11年の『御役付武鑑』には御書物師として載っている。『和国三女』などにみられる「松会朔旦」の「朔旦」とは三四郎の号かとされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、目にした言葉。メモ。

狂気は野生の状態では見出されません。狂気は社会の中でしか存在しない。狂気はそれを孤立化する感受性の諸形態、それを排除し或いは捕捉する嫌悪の諸形態の外に存在するものではないのです。-狂気は社会の中でしか存在しない-

                                byフーコー

御所市 水平社博物館へ。 とびとびスケッチ。備忘録

御所市 水平社博物館へ

 

水平社正面に西光寺

 

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神武天皇社]

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[あの小高い丘が用明天皇陵]

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[水平社博物館]

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[巡回展 先住民族アイヌは、いま]

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バートルビー

当然のことながら、小説はやはり読まなくちゃいけない。

当たり前のことだが、あらすじを知っていたとしても、そんなことには何の意味もない。wikiなんか見て知った気にならないほうがいい。(自戒を込めて)

しかも「バートルビー」、

あまりに語られすぎていて、「バートルビー」をめぐる語りに気を取られていると、その語りを呼び出した小説そのものを見失ってしまう。

 

柴田元幸訳「書写人バートルビー」を読んだ。

小説の中の語り手の声に耳を澄ます。

そもそも、バートルビーだけではない、語り手の事務所で働く書写人たちの誰もがとうていまともにも見えない。雇われている、ということを忘れているような者たちばかり。

その極致が書写人バートルビーということになろうか。

(同時にまた、雇い主である語り手本人もまた、そのふるまいは、ちっとも雇い主らしくない)

 

「そうしない方が好ましいのです」。

すべてに対して、婉曲な言葉ながら、まっすぐに「No」と言う。行動でそれを表す。

衝立の奥に静かに消える。

 

最初は書写以外のすべてのことを拒否、やがて書写そのものも拒否、命じられるすべてを拒否、書写事務所から動くことも拒否、ついには存在することも拒否。

 

バートルビーがなんと事務所を塒にしていることを知ったとき、語り手はこう考える。

生まれて初めて、圧倒的な、刺すような憂いの気分が私を襲った。それまで私は、快いとすら言える程度の哀しみしか味わったことがなかった。人間たることの共通の絆が、今や私を陰鬱な想念に導いていった。友愛ゆえの憂い! 私もバートルビーも、ともにアダムの子なのだ。その日目にした、白鳥の如く着飾って、ブロードウェイの大河を流れるように下っていく、艶やかな絹や光り輝く顔の数々を私は思い出した。そうした眺めを、青白い顔の書写人と対照させて、独り私は思った。ああ、幸福は光を招く。ゆえに我々は世界を華やかだと思い込む。だが不幸は人目につかぬ場に隠れる、ゆえに我々は不幸などというものは存在しないと思い込むのだ……。そんな物哀しい夢想が……明らかに、病める愚かな頭脳の産んだ幻影だったに違いない――バートルビーの奇癖を更なる想いにつながっていった。奇怪な発見の予感が、私の周りに漂っていた。かの書写人の青白い体が、彼のことなど一顧だにせぬ人々の只中に、震える屍衣に包まれて横たえられている情景が目に浮かんだ。

 

バートルビーは無為の塊になって事務所にいる。語り手はとうとう事務所を別の場所に移転する。バートルビーは事務所のあった場所から離れない。新しくその場所に移ってきた者が困り果て、バートルビーはついには拘置所に放り込まれる。拘置所では、事務所にいたときと同様、何もせず、拘置所の中庭の高い壁を見つめ、食べもせず、無為であることによって、すべてを拒んで、ついに息絶える。

 

後日談

あるささやかな噂が、彼の書写人の死後何か月か経って、私の耳に届いたのである。噂がいかなる根拠に基づくものかについては、何も確かめられなかった。したがって、これがどこまで真実なのかに関しても申し上げられない。だが、この曖昧模糊とした風聞が、私には妙に腑に落ちるところもなくはなかったがゆえに、きわめて悲しい噂ではあるが、他の方々にも同じように思われることもあろうと考え、ここで簡単に紹介しておきたい。こういう話である。バートルビーはワシントンの配達不能郵便取扱課の下級職員をしていたのだが、上層部が交代したため突如解雇されたというのである。この噂に思いを巡らすとき、私を捉える感情の強さはどうにも言葉にしようがない。配達不能郵便! それは死者のような響きがしないだろうか? 生まれつき生気なき寄るべなさに苛まれがちだったのが、身の不幸によってさらにその傾向が助長された、そんな男を思い描いてほしい。それをなお一層高める上で、配達不能の手紙を四六時中扱い、火に焼べるべく仕分けをする以上にうってつけの仕事があるだろうか? 荷車にどっさり積まれて、手紙は毎年焼却される。時折、畳まれた紙のなかから、青白い顔の郵便局員は一個の指輪を取り出す――それをつけるはずだった指は、もう墓のなかで朽ちつつあるのかもしれぬ。大至急に慈善を果たすべく送られた銀行手形――それによって救われたであろう者はもはや食べも飢えもしない。絶望して死んでいった者たちに赦しを。希望なく死んだ者たちに希望を。一時の安らぎもない不幸によって息の根を止められた者たちに良き報せを。人生の使いを携えて、これらの手紙は死へと急ぐ。

 ああ、バートルビー! ああ、人間!

 

あるいは、こうも言えるのだろう。

人生の使いを携えて、これらの手紙は詩へと急ぐ。

 

この「書写人バートルビー」の一編、それ自体が詩というものを語っているようにも思える。