言葉
二十世紀を駆けぬけて 敗戦後も間もない日、焼けなかった京都から故郷へ立ち戻った私は、広島の町を一望に見おろす比治山に登って、国見におよんだ。 焼き尽くされて灰燼と化し、七つの河だけが陰刻となった町の後は荒涼として奇妙に静謐、鬼気迫る惨景であ…
高秉權。この韓国の哲学者が書くものは、とても好き。 哲学・思想がこの人の体をくぐり抜けると、社会を底から変えてゆく実践と結びついてゆく。小さな声を封じることで成り立つ近代社会を支える人文学ではなく、変革の人文学が見えてくる。 『黙々」は、199…
「前例のない非常識なことが目の前で起きているのに、前例や常識に従って何を伝えることができるのでしょうか。このやり方が既存のやり方に対して喧嘩を売っていることも、タブーを犯していることもわかった上で、それでも、この方法で表現するしかなかった…
近代の言文一致体を作り出すために、どれほどの苦労があったことかと、 文学史において、二葉亭四迷やら、山田美妙やらのさまざまなエピソードや、 鴎外や漱石の文体について触れてきたわけであるけれど、 『「日本語」の文学が生まれた場所』の黒川さんの序…
まっくらな闇の中を歩みとおすとき、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である。 ヴァルター・ベンヤミン 「師よ、わたしたちが善き友を持ったならば、仏道の半分を完成したことに等しいと思いますが、いかがでしょうか」 「アーナンダよ、違う。…
◆ニコス・カザンザキス『苦行』より。 黙って、堂々と、そして希望を持たずに深淵へと旅立つこと、それがおまえのなすべきことだ。
世界を広くめぐり歩いてきた男たちの話では、メルキアデスの一族は人知の限界をはるかに超えたために、この地上から抹殺されたということだった。 p44 (メルキアデスは)実際に死の世界にいたが、孤独に耐えきれずにこの世に舞い戻ったのだ。生への執着にた…
狂気は野生の状態では見出されません。狂気は社会の中でしか存在しない。狂気はそれを孤立化する感受性の諸形態、それを排除し或いは捕捉する嫌悪の諸形態の外に存在するものではないのです。-狂気は社会の中でしか存在しない- byフーコー
私たちの言葉は、まだその闇へ到達できておりません。 (『ははのくにとの幻想婚』所収「地の底のうたごえ」より) 性が単独な機能ではないのに、女の性は生誕を具象としてもち、男の性は生誕を抽象とします。困ります。なぜなら具象の力とはたいへんなもの…
明後日2020年5月9日 必要で、緊急な、大事なことのために、水俣を訪れる前に、乙女塚の塚守であった故・砂田明さんの本を読んでいる。 その本に寄せられている石牟礼道子さんの文章から。 ----------------------------------------------------------------…
「希望なき人々のためにこそ、希望は私たちに与えられている」 by ヴァルター・ベンヤミン 「神話の呪縛を断ち切りながら瓦礫の山を掘削する思考が、「忘れがたい」生の記憶を探り当て、それを今ここに呼び覚ます像に結晶するとき、時代の闇を貫く道を切り開…
与えられる物語ではなく、新たな物語を創造しようとする傷がある。 傷は永遠の底なしの穴としてそこにある。物語はいつも「穴」から生まれる。 古い物語を飲みこんで、噛み砕いて、捨て去る穴。 それ自体は物語になりようもない、取り返しのつかない穴、ある…
しかしまた、歴史におけるすべての終りは必然的に新しい始まりを内含するという真理も残る。この始まりは約束であり、終りがもたらし得る唯一の<メッセージ>なのである。始まりは、それが歴史的事件になってしまわぬうちは、人間の最高の能力なのだ。政治…