水俣関係

石牟礼道子の夢の光景  『苦海浄土』第二部 第四章「花ぐるま」より

河出書房版『苦海浄土』P343下段~ 思えば潮の満ち干きしている時間というものは、太古のままにかわらなくて、生命たちのゆり籠だった。それゆえ魚たちにしろ貝たちにしろ、棲みなれた海底にその躰をすり寄せてねむり、ここら一帯の岩礁や砂底から離れ去ろ…

『沖縄と朝鮮のはざまで』 メモ    牛馬としての朝鮮人「軍夫」

動物化というキイワード。 証言1 古堅には朝鮮人の軍夫もたくさんいたが、日本軍に牛馬の扱いをされていてとてもかわしおうだった。あるとき、私の家の前で、一人の朝鮮人軍夫が、日本兵に激しく叩かれて「アイゴー、アイゴー」して泣いていた。 証言2 (…

水俣・乙女塚 塚守だった故砂田明さんの詩「起ちなはれ」(作・砂田明)の語りを、砂田エミ子さんに聞いていただくために水俣へ。

そもそもは、鳥獣虫魚草木、すべての生者、死者が集う鎮魂と芸能の場として開かれた乙女塚、 1993年に砂田明さんが亡くなってから、だんだんと静まりかえっていった乙女塚、 そこで、いまいちど、芸能祭をしよう、みんなで歌い踊ろう、砂田さんの詩を語って…

「不知火曼荼羅」石牟礼道子 (砂田明『海よ母よ子どもらよ』より) 

明後日2020年5月9日 必要で、緊急な、大事なことのために、水俣を訪れる前に、乙女塚の塚守であった故・砂田明さんの本を読んでいる。 その本に寄せられている石牟礼道子さんの文章から。 ----------------------------------------------------------------…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその3

水俣に行く前に、じっくり読みたいと思っていた『分解者』を読了。 近代合理主義と植民地主義と今となってはグローバル資本主義がもたらす徹底的な「分断」を、いかに「分解」するか? 生産者/労働者/消費者でしか存在しえない存在となった人間が、分解者…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその2

2017年7月下旬 相模ダム建設殉難者追悼会に筆者は自閉症の兄とともに参加する。 戦前にダム建設で亡くなった日本・中国・朝鮮の犠牲者に対してだけでなく、前年7月のやまゆり園事件の犠牲者に捧げる黙祷も合わせて行われたそのとき、自閉症の兄が叫んだ。「…

『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその1

水俣で野生集会を持つ前に、『分解者たち』を少しずつ読む。 見沼田んぼに追いやられてくる「ごみ」、「排泄物」、「遺体」、「障害者」、「鶏や乳牛などの家畜、様々な生きもの」、そして「農的営み」。 それは「首都圏/東京という歪に肥大化した身体の肛…

石牟礼道子にとってアニミズム神は呪術神でもあるということ。

鳥獣虫魚草木石水風 アニミズムの神々を単に素朴な善良な神々なのだとは、石牟礼道子は思っていない。 『神々の村』P279 日々の暮らしとともにどこにでもいたあの在野の神々は、もとをただせば、人びとの災いを身に負うていた身替り仏であったり、災厄の神な…

『苦海浄土』を読み直している。第三章「ゆき女きき書」を読み終えたところで、正気を保つのがやや難しくなる。

ゆき女の声は、石牟礼道子の声でもある、じょろり(浄瑠璃)を語って旅する六道御前の声でもある、数限りない死者たちの声でもある、石牟礼道子が言う「じょろり(浄瑠璃)」とは、「説経」をさすものと思ってもらっていい。文学が死者たちの声の賜物である…

石牟礼道子『苦海浄土』 第六章とんとん村 より。 足尾への眼差し。

「すこしもこなれない日本資本主義とやらをなんとなくのみくだす。わが下層細民たちの、心の底にある唄をのみくだす。それから、故郷を。 それはごつごつ咽喉にひっかかる。それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期につい…

「治水は造るものにあらず」と正造は言った。そこには渡良瀬川をはじめとする利根川水系全体を歩きたおして体得した「水と自然の思想」がある。日本の近代はこれを否定することからはじまったのだ。

正造の治水行脚。 齢70にして、1910年8月10日から1911年1月30日までに、少なくとも1800キロ以上歩いている。 それは本州縦断の距離に等しい。 これは、明治政府の治水政策の誤りを実証するための行脚だった。この情熱、執念。生きとし生ける命のための。 「…

足尾銅山の描写はそれなりにすごい。

おぼっちゃま君は周旋の男に連れられて、桐生あたりから歩いて歩いて山に分け入って、ついに足尾の町に入る。 「只一寸眼に附いたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。何時の間にか木が抜けて、空坊主になっ…

語り手の男はおしゃべりな男だ、自分でも扱いきれない自我の声がダダ洩れている男だ。でも、これは40歳の近代青年漱石の声なんだな。

三角関係に苦しむおぼっちゃま君が、死ぬ気で家を飛び出して、死からの助け船のように声をかけてきた周旋人に連れられて足尾銅山にゆく。坑夫になりに。なれるものか、おぼっちゃま君の書生風情に。と嘲弄されれば、傷ついた自我は逆に意地でも坑夫になって…

田中正造  治水論/水の思想

1944年8月30日日記より。 「古えの治水は地勢による、恰も山水の画を見る如し。その山間の低地に流水あり。天然の形勢に背かず。もしこれに背く、山水として見るを得ざるなり。治水として見るを得ざるなり。然るに今の治水はこれに反し、恰も条木を以て経の…

足尾銅山略年表

1841年 11月3日 田中正造、下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市小中町)に生まれる。幼名兼三郎。 1877年 古河市兵衛、足尾銅山製錬所操業。 1881年 足尾銅山、鷹の巣直利発見。84年、横間歩大直利発見。 1890年 8月 渡良瀬川大洪水、栃木・群馬両県に鉱毒被…

足尾・松木沢のはげ山と谷中の荒野はともに約3000ヘクタールという広大な面積を持つ。その二つが渡良瀬川によって結ばれている。

日本近代は、 山〜海〜天をめぐって流れて地を潤し、生きとし生けるすべての命に恵みをもたらす「水」の道を断つところからはじまった。 「水」を毒を以て濁らせことからはじまった。 「水」によって生きる命を殺すことからはじまった。日本近代の「富国強兵…

第3章「植民地の民衆」より。 朝鮮人部落のこと

●興南は、朝鮮でも特殊な環境でした。日本人は全部、社宅に入ってしまうか商店街に住み、周囲の朝鮮人部落とは隔絶していた。 ●ヨボ部落の汚いことは、見なければ話にならんです。たいがいの家が豚と犬とを飼っとるですよ。豚と犬がそこら辺に大便する、小便…

第3章「植民地の民衆」より。 日本人社宅の奥さんと朝鮮のオモニの朝鮮語レッスン

「オクサン、オデミ」 「オデミ、オッチェ(オデミてなあに)」 「オクサン、ドコスンデル」 「五区ヨ、タンシン、オリマッソ(あんたはどこ)?」 「タンシン、チョッコン、チョッコン(すぐそこ)」 「チョコマン サラメ オルマ(子どもは居るの)?」 「…

第3章「植民地の民衆」のうち 「カフェと遊郭」。そして植民地をめぐる想像力のこと。

「朝鮮じゃみんな飲みよった。飲まん人間は居なかった。行くのはほとんどカフェだった。九竜里に行けば、ドラゴン、春雨、楽園会館。天機里に行けば、赤玉、オリオン、金春、武蔵食堂……」 「興南は遊郭が賑わったもん。松ヶ野町というて、柳亭里社宅の手前が…

第3章「植民地の民衆」扉の言葉より。

··········································· 「みんな、内地で哀れな生活をしとればしとるほど、朝鮮で飛び跳ねて、ぜいたくな暮らしをしたいわけな。逃げてきたばかりの貧乏生活を、あざ笑いたいわけな」被抑圧者から抑圧者への変貌は、瞬時に起きる。被…

第2章「植民地の化学工場」中の「統治と支配」より

················································································昭和十二年頃というのは、朝鮮窒素の転換期でした。日本窒素は朝鮮で巨大な電力を安く手に入れ、アジアにかけての市場が朝鮮から延びていたから、大量生産、大規模化でき…

 第2章 「植民地の化学工場」扉の言葉 より

今の日本の、 最悪かつ広がりつつある状況のすべては 既にここにあるように思える。···························································· (朝鮮窒素の)興南工場では、日本人Aと朝鮮人Bの個人関係は生じなかった。あるのは民族と民族の関係だけであ…

戦前に、朝鮮窒素の興南工場に電気を送るために、昭和2年より、現在の北朝鮮の山岳地帯に赴戦江水力発電所の建設工事が始まった。

ダム建設は、赴戦江、長津江、水豊と続く。 それは朝鮮窒素という一民間企業を中心とした電力開発事業でありながら、 アメリカの国家事業TVAに匹敵した。 どれだけ新興財閥窒素が植民地朝鮮で権力と結びついて横暴であったか、 どれだけ人間がモノのように扱…