そもそもの、済州島へと向かうきっかけをくれた人を自由が丘に訪ねて、最近のあれこれを話してきた。もう少しはまって済州島を巡り歩こうと思うと言ったら、ぐっと眼光鋭く、「行って何をする?」。さらに「4・3事件を研究したり、取材したりする人間は掃いて捨てるほどいる。でも、学者たちや記者たちが追求しているのは、目に見えていることだけ。耳に聞こえて、言葉になることばかり。僕のこの胸のうちにある話したくとも話しようのない、沈黙するしかない、この思いやこの記憶にまで、今まで誰がたどりついた? たどり着けるわけがない。4・3事件を生き抜いた者たちの心いっぱいの沈黙に誰がたどりついているか?」。
私も、沈黙のなかの、その思いをそのまま受け取ることは、きっとできない。でもね、ここに沈黙、ここに空白、と沈黙と空白で描き出す人間として生きていくための地図はせめて描けるかもしれない。一心不乱に沈黙と空白のあるところに向かっていけたらと思う、と答える。
そうか、ならば、行け!
思いがけなくも、しっかりと背を押された。