ホ・ヨンソン詩集『海女たち』の翻訳をめぐって   ~もっとも低くて、もっとも高くて、もっとも遠いところの声~

ホ・ヨンソン詩集『海女たち』の翻訳をめぐって  

~もっとも低くて、もっとも高くて、もっとも遠いところの声~

 

海女たち (ホ・ヨンソン著  訳:姜信子・趙倫子)

 

 <1>歌に呼ばれて、めぐりめぐった旅のすえの済州島

 もう20年あまりも前になります。日本とか韓国とか、自分を縛る国やら民族やらからとにかく遠ざかりたくて、無闇な旅を私は始めたのでした。遠い旅に出るとき、その旅のはじまりは、いつも、彼方から聞こえてくる歌。旅の行方も歌がおのずと教えてくれました。そうしてたどりつくのは、いつも、抗いがたい大きな力によって、生まれた土地を追われたり、親から子へと受け継がれてきた言葉を捨てさせられたり、名前を変えさせられたり、記憶を封じられたり、ついには命までも取られてしまうような過酷な「生」を生き抜いている人びとの場所なのです。それは、「国家」や「民族」という大きな物語の涯にある荒野のような場所と言ってもよいかもしれません。

 

2000年代初めに中央アジアで出会った高麗人(コリョサラム)は、1937年秋に、スターリンによって、ロシア極東から着の身着のままで追放されてきた朝鮮の民の末裔でした。私は、日本に戻ると、唯一そういう話の出来る叔父を訪ねて、高麗人の追放の生について語りました。すると、叔父にこう言われたんです。

「彼らの悲しみ、苦しみと、僕の悲しみ、苦しみとどちらが大きいだろうか? それは比べようがあるだろうか?」と。

叔父の苦しみ、悲しみ? いったい何の話だろうか……?

 

私はこのときはじめて、叔父が済州島からの密航者であり、「アカ狩り」という名で国家権力によって済州島の民に対して繰り広げられた無差別虐殺の現場にいた人であったことを知りました。彼がそれまで語ることのなかった記憶をはじめて聞いたのです。これが、私と済州島の出会いです。大きな物語の「涯の島」としての済州島との。

 

済州島に初めて渡ったのは2010年のことでした。そのとき、封じられた島の記憶の道案内人として現れたのが、詩人ホ・ヨンソンでした。

 

済州島にたどりつくまでの長い旅の道のり。思い出すのは、台湾で出会った先住民プユマの音楽家イサオから教えてもらった言葉。

「僕らが生きる場所は、この世の一番低いところ(地の底/たとえば炭坑、金坑)、一番高いところ(山地)、一番遠いところ(たとえば遠洋漁業での過酷な労働)」

つまり、この世の中心からもっとも離れた場所です。もっとも沈黙を強いられる場所です。そして、どこよりも歌が人々の思いや記憶のひそかな器となる場所です。歌は、ここに語られぬ記憶があると教えます。それに触れてしまったなら、世界そのものの見え方が変わってしまうような記憶です。

 

その意味では、涯の地でうたわれる歌とは、それを聞く者にとっては、新しい世界への扉を開く歌ともなりましょう。世界の涯の歌を聴いてしまった者が、ついにみずからの言葉で歌いだすとき、そこに「はじまりの歌」としての詩が生まれるのでしょう。そのようにして人は詩人になるのでしょう。

 

ホ・ヨンソンは、そのような詩人として私の前に現れました。

2018年、ホ・ヨンソンから手渡された詩集『海女たち』は、もっとも深い水底からもたらされた「はじまりの歌」でした。

 

<2>海女は水で詩を書く  

言うまでもなく、海女たちは、実によく歌うのです。

 

水底の命がけの労働を、海を越えて旅をした出稼ぎのことを、植民地の支配者である日本人による不当で過酷な扱いを、アカ狩りで消えた男たちのことを……。

植民地期に作られ、不当な搾取への抗議して立ち上がった海女闘争の折りに盛んに歌われた「海女抗日歌」は、それをわかりやすく伝える歌の一例でしょう。ただ、これは歌ったのは海女であっても、その歌詞は海女たちを指導した夜学の青年教師によるものです。海女が水で書いた詩ではない。

 

海女たちはこうやって水で詩を書くのだ、こうして水の言葉で歌ってきたのだということを教えてくれたのは、『海女たち』に登場する海女ヤン・グムニョです。海女たちの世界を日本語でなかなか歌えずにいた私たち(姜信子と趙倫子)翻訳者をヤン・グムニョのもとへと、詩人が連れていってくれたのです。

 

私たちはヤン・グムニョが経験した無惨なアカ狩り(4・3事件)の記憶を聴き、

「イオドサナ」(https://youtu.be/LOHD9_7GR0s)を聴き、

「回心曲」(https://youtu.be/e1zC_scAtdA)を聴きました。

 

むかしむかしの済州島海女のみなさまへ

冬至 年の終わり 冷たい風に雪もこんこん舞い落ちるときに、

今ではゴムの潜水服もありますが、昔は素肌を真っ赤にして海に入りました

身は切られ、手足はかじかみました

一生の間、こどものために、あの海で苦労なさってお亡くなりになった

多くの母たち、多くの先達の方々が、生前の恨を、苦しみに満ちた胸を大きく開いて放って、

八万四千の極楽の門を開いて、極楽往生、昇天なさいますよう

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 (回心曲)

 

 

手を合わせて、ヤン・グムニョは歌う。海女たちの歌は、名もなき者たちへの水の底の祈りなのだ、水の声で歌われる祈りだのだということを、ヤン・グムニョは歌うことそれ自体で、その声で、如実に私たちに語りかけていました。

 

まさに、海女たちは水で歌う、水で詩を書く。

 

ところで、詩集『海女たち』においてとても重要な言葉の一つである、この「海女たちは水で詩を書く」という言葉。実は、これ、私の誤訳だったのです。「해녀들은 물에서 시를 쓴다 」と詩人は書いていました。これは「海女たちは水の中で詩を書く」と訳すべきです。これを何を思ったのか、私は何の迷いもなく「海女たちは水で詩を書く」と訳して、誤訳に気づいたのはすでに編集者に訳稿を渡してしまったあとのことでした。

 

詩人にこの誤訳のことを話しました。すると、なんと詩人は、「ああ、それでいいわ。それがいいわ」と即座に答えた。水に生きる海女が、水で詩を書く、それは海女の生き方そのものではないかと。

 

それは、やはり済州島出身の在日の詩人で、私にホ・ヨンソンを紹介した金時鐘の詩に対する姿勢を想い起こさせもしました。存在自体が詩である、そのような人々がいるのだと、詩は生きることそのものとして現れ出るのだと語っていた金時鐘とホ・ヨンソンの間のひそやかな共鳴を感じたのでした。

 

「해녀들은 물에서 시를 쓴다」のみならず、さまざまな意訳、誤訳を私は詩人に差し出し、やりとりをし、例えば、「喰らった力で愛を産んだのか」という詩では、韓国語ではたった一行の簡潔な言葉が、日本語では滔々と語る二行に生まれ変わるというようなことも起きています。ここで行われていたのは、翻訳をベースにした、ほとんど創作に近い、詩人訳者の共同作業でもありました。

 

 

 <3>詩人は歌い、翻訳者もまた歌う

 韓国語で、時には済州の言葉も入り混じった詩を詩人が歌っている。それを今度は訳者が日本語で歌う。目指したのは、そういう翻訳です。

 

ホ・ヨンソンは海女たちの「水の詩」をみずからの声に写しとって、歌っています。彼女の詩は声で読む詩です。耳で読む詩です。ホ・ヨンソン自身が朗読する「海女クォン・ヨン」を聴いてみましょうか。

https://youtu.be/mP0FUpXbc4c

 

訳者のひとりである趙倫子が북(太鼓)を叩き、パンソリのソリクン(唱者)である安聖民が歌う「海女 パク・オンナン」。これも聴いてみましょうか。(https://youtu.be/ckrsa1oDeUE

 

こんなふうに、『海女たち』を日本語でも歌ってみよう。祈りを込めて歌おう。それが訳者としての願いでした。

 

同時に、いわゆる抒情詩のように美しくは歌わない、済州の海から生まれた歌を日本的抒情に置き替えたりはしない、日本的なリズムに収めたりはしない、それでも日本語で見事に歌ってみせよう、というのが、翻訳の方針です。

 

それは、日本語を酷使し、日本語を破壊することをとおして、日本的抒情を突き抜け、新たな日本語詩の領域を開いた金時鐘の志のひそかな継承をめざすものでもありました。

 

「眠れる波まで打て! ――海女の舟歌」。 私は、この詩の底に、金時鐘が「うた またひとつ」(『猪飼野詩集』所収)で歌った「打ってやる」の声を聴き取りました。それは、大阪・猪飼野(生野)や神戸・長田の朝鮮人集住地区のサンダル工場で、サンダルのヒール底を打ち続ける朝鮮人の声です。

https://youtu.be/0LXOGCYG5IA 金時鐘版)

 

 

 打ってやる

 打ってやる

 打ってやる

 忙しいだけが 

 おまんまの あてさ

(中略)

 打って 運んで

 積みあげて

 家じゅうかかって 生きていく。

 日本じゅうの ヒール底

 叩いて 打って

 めしにするのだ。

 

さらに、この金時鐘の「打ってやる」という声の底には、ハインリッヒ・ハイネの詩「シュレージェンの職工」(1847)の「織ってやる」という声が響いています。過酷な労働を強いられていた織工たちの蜂起をうたった詩です。

 

 くらい眼に 涙もみせず

 機にすわって 歯をくいしばる

 ドイツよ おまえの経帷子を織ってやる

 三重の呪いを織りこんで

    織ってやる 織ってやる

 

     (https://youtu.be/RrlpZD25eEY

 

 

織ってやる、打ってやる、時を越えて響きあう声を、済州の波を越えてゆく海女たちの声にも聴きとって、「眠れる波まで打て」と歌ったホ・ヨンソンの声に、さらに日本語で「打って打って打ち捨てろ」と畳みかけて歌う声を響き合わせる。

 

つまりは、これは詩集『海女たち』は、海女たちの歌であると同時に、時空を超えて時空を超えて、「もっとも低くて、もっとも高くて、もっとも遠いところの声」が幾重にも響き合い、つながりあう「場」であるということ。翻訳とは、そのような「場」を開くことでもあるのだということを、いまこうして語るうちに、私はあらためてつくづくと気づいたのでした。

 

最後に、李政美さん歌う日本語版「眠れる波まで打て! 海女の舟歌」を!

https://youtu.be/TSmEospxWKw) 

 

『海女たち』について (新泉社 HP)

https://www.shinsensha.com/books/3307/